Saturday 31 March 2018

Happy Easter!

世間はすっかりイースターホリデーですね。

イースター(復活祭)とは、ジーザスが処刑されて3日後に復活した事を
お祝いするキリスト教のお祝いです。

キリスト教にとっては、ある意味、クリスマスより大切な日です。

なぜなら、「復活」は、ジーザスが行った数ある奇跡の中でも
もっとも重要なものであるからです。

もし、この「奇跡」をジーザスが行っていなかったら、
キリスト教は今のような形では存在していないでしょう。

イースターは、毎年日程が変動します。

どうやら、春分の日の次の満月の日の次の日曜日が
イースターサンデーとされ、その日を起点に、
その他色々なイースター関連の日が決定されるわけです。

おそらく、ジーザスが復活したのは、ある春の日、
日と夜の時間がほぼ同じくらいの長さで、ほぼ満月の日曜日だったのでしょう。

なんて思いを馳せてしまいます。

復活したのは日曜日で、そこから逆算して処刑されたのは金曜日。
Good Friday と呼ばれています。

私 :なんで、Good Friday なんやろう。ジーザスが処刑されたのに。どっちか言ったら、Bad Fridayやない?
夫:その日、ジーザスは逃げなかった。あえて逃げずに、人々の原罪を償うために、処刑されたんだ。その行いが、人々の心を掴んだんだよ。だからやっぱり、Good Fridayなんだよ。
それに、処刑されなかったら復活できなかったしね。

毎年、イースターの休みは、ジーザスの復活劇に思いを馳せ、
にわかエセクリスチャンになってしまうのです。


Monday 26 March 2018

人生には、収入を減らしてでも「無理をしない事」が必要となる時期がある。そして、その逆も正なり。

働く時間を減らしてもらって、その分収入も減りました。

収入が減ると税金も減るので、若干打撃は緩和されるのですが、
税込み収入自体が大幅に減れば、いくら税金が減ったとは言え
手取りも大幅に減ります。増えることは絶対にありません。
税金減で緩和されるのは、気持ち程度です。

でも、それ以外にも効果があるような気がします。

フルタイムで働いていた時は、慢性的に疲れていたのもあって、
家計簿をつけて無駄遣いを反省したりする余裕がありませんでした。
やりくりなんて考えずに、パッパカパッパカとお金を使っていたのです。

でも、今はそうは問屋がおろしません。

ある程度引き締めていかないと、赤字です。

とはいえ、今の私には、収入と引き換えに得た時間があります。
そして、慢性的な疲れもなくなりました。
活力があるのです。

今は、細かい家計簿こそつけてはいませんが、
疲れてて、週末のランチを作るのが面倒だから外食、っていう率も減り、
出来るだけ家にある食材で作るようになりました。

外食に行くのは、作るのが面倒だからと言うよりは、
自分で作れないような料理やお店の雰囲気など、
外出を楽しむ為の機会にしたいと思っています。

出来合いのもので食事を済ませる割合も減り、生活費のうち、
「浪費」と分類される部分が減ってきたと思います。

節約生活。

簡単に言うけど、結構難しいです。

家計簿診断とか、お金に関する啓蒙記事などで、
収入が少なくても、あれとかこれとかをこうやったりああやったりして
節約すれば、月に2、3万円貯金できるとか言う記事があります。

そういった記事の多くが、自炊することによって外食費を抑える事を
勧めていますが、それなの、今の私には無理です。

月に2、3万円の貯金の為に、疲れた身体にむち打つなんて。

節約生活には、時間と活力が必要です。

睡眠時間を削って、疲れた身体を引きずってまでの節約生活は、
中年を過ぎた人間の体力では、難しいものがあります。

なのでフルタイムで働いていた時は、お金で解決してきたわけです。

でもこの辺で、一旦働くペースを落として、
収入が減った代わりに増えた自分の時間と活力でもって、
節約生活を楽しむことが出来れば、
多分、収支はトントンとまではいかなくても、
そんなに損が大きく膨れ上がると言うことは無いようなきがする。

そして何より、節約生活を楽しめるようになれば、
そして、年金の範囲で生活費をおさめる事が出来るようになれば、
そんなに老後資金を貯めなくても良い事に気がついたのです。

私は別に、アンチバリバリ労働教の信者ではないです。

これから結婚して、子供を育てて家を買ってetc、と
目の前にライフイベント満載の若い人たちは、
これからの人生に於いて、働く時間を増やして(身をすり減らして)でも
収入を増やす必要がある時期があるかと思います。

そして、若いうちは体力も気力もあるから、それが出来るのです。

私も、若い時は頑張ったもんね。

今、人生半ばを過ぎて、色々な経験をしてきて、
住宅ローンはまだ完済してないけど、
多分、このまま行けば返せるだろうという目処もついてるし。

今まで突っ走ってきたけど、ここら辺で立ち止まって、
来し方行く末のことを、色々と考えてみようと思うのです。

Friday 9 March 2018

バリバリ働く女性

女性の働き方の問題を議論する際に、
特に、既婚女性が夫の扶養範囲で働くか否かを議論する際に、
扶養範囲で働く場合の反対語として、「バリバリ働」くと言う言葉が
使われていることが多いような気がします。

しかし、この「バリバリ働く」という言葉、
正確にはどういうことを意味しているのでしょう?

バリバリって、働いて音が出るわけでもないし。
せんべい食べながら働くのか?とツッコミたくなるのですが、

ググッてみました。


Weblio類語辞書より拝借。

バリバリ働く


そうか。バリバリ働くっていうのは、こういうことなのね。

馬車馬のように働くってのも、類語なのね。
大分悲壮感があるような気がしますが。

もしかしたら、私の偏見が入っているかもしれませんが、
男性が「バリバリ働く」と言うと、
組織の中で意思決定に関わるような重要なポジションにつき、
and/or 高収入、
というイメージがあります。

一方、女性が「バリバリ働く」と言う場合場、
独身女性に関しては男性と同じ感じで使われていると思いますが、
既婚女性に関しては、夫の扶養範囲を超えるような働き方に対して、
「バリバリ働く」という言葉が使われているような気がする。

2018年からは、すべての扶養範囲を超える(配偶者特別控除を失う)年収が、
201万円になるという事です。2017年までの141万円よりは随分上りましたが、
それでも、年収201万円っていうのは、もし単身だったら、
今世の中で問題になっているアンダークラスに分類される額です。
時給1200円くらいでフルタイムで働いたら、超えてしまうと思います。
そして都市部なら、時給1200円のポジションの仕事内容は、
「バリバリ働く」というイメージでは無いように思うのです。

なので、夫の扶養範囲を超える働き方を「バリバリ働く」と
形容するのは、少し違和感を感じるのす。

確かに、既婚で子供のいる家庭で、妻がフルタイムで働くと言う事は、
家庭との両立と言う意味では「バリバリ」頑張らなくてはいけなくなるでしょう。

そういう意味で、既婚女性が扶養範囲を超えて働くのを
「バリバリ働く」と形容するならば、
なぜ、それは女性の方にだけ適用されるのでしょう。

妻がフルタイムで働く男性が、家庭でキチンと家事を折半してやっていたら、
遅くまで残って残業はできないと思います。
そして、そういう男性の働き方は「バリバリ働く」とは形容されません。

既婚女性は、フルタイムで働くだけで「バリバリ働く」なのに、
既婚男性は、フルタイムで働くだけでは「バリバリ働く」とはならないのです。

この背景には、日本には「家事は女性の仕事」だと言う、
暗黙の想定があるような気がするのです。

Tuesday 6 March 2018

瞑想ごっこ(2)ー 無限の雑念ループ

重い腰をあげ、とうとう瞑想(ごっこ)を始めた私。

でも、今の私の場合、瞑想しようとしながら座ってる30分。

という感じです。

幸か不幸か、私はじっと座っているのに向いた身体のつくりらしく、
30分じっと座っていても、身体が痛くなることはありません。

一方、瞑想大好きな夫は、残念ながら、じっと座っているのに向いてない身体みたい。
お尻の肉が薄いのか、お尻の骨が床に当たって痛いらしい。
私の豊富なお尻の肉を、羨ましがってます。

お尻の肉って、意識的につけたわけじゃないので、
羨ましがられても仕方がないのですが。

私の場合、身体は平気のへっちゃらなのですが、精神の方がついていってない。

私は雑念の塊なのです。

まず、瞑想(ごっこ)をはじめたとたん、窓の外から聞こえる音が気になり始める。

いかんいかん、呼吸に意識を集中しなければ。

って、こう思っている時点ですでに、集中できてないよねえ。

って、思っている事自体が、集中できたない。

呼吸。呼吸。

おなかに集中していたはずが(私は腹式呼吸)
今度は鼻の方の空気の出入りも気になってきたぞ。

夫が言うには、彼は鼻の空気の出入りに集中するそうですが、
もし、お腹の方が集中しやすかったらお腹で良いと言ってたなあ。
(お腹に集中する人もいるらしい)

でも、集中する点は小さくあるべきだと。

なので、両方気になるってのは、駄目ね。

どちらかに集中しなくっちゃ。

お腹お腹。

鼻も気になる。

それにしても、目を閉じて瞼越しに感じる光って
オーロラみたい。

母が、白内障の手術をしたときにオーロラが見えたって言ってたなあ。

ああダメダメ。呼吸に集中しなくっちゃ。

お腹が鼻かどっちがいいかなあ。

And so on.

こういうう感じで、無限の雑念ループに陥っております。

オンラインでちらほら見かける、意識高い系成功者は、
かなりの確率で瞑想しているような気がしますが、
彼らは雑念ループに陥ることなく、瞑想できているのでしょうか?

それとも彼らは、雑念ループに陥りつつ瞑想ごっこすることを、
瞑想と呼んでいるのでしょうか?

気になるところです。

Monday 5 March 2018

瞑想ごっこ

夫は、瞑想が大好きです。

どれくらい好きかと言うと、家を改装して瞑想部屋を作ろうと考えるくらい好きです。
そして、そのプランの事が頭から離れなくて、瞑想に集中できなくなるという
本末転倒具合です。

そんな夫は、かねてより、私にも瞑想を勧めておりました。

今までは、夫の勧めをのらりくらりを交わしていたのですが、
今回、私が仕事の時間を減らして自分の時間が増えたという事で、
夫のお勧め攻撃に拍車がかかってきた事と、

どうやら、仕事を減らすと決意した時点で、私の精神の疲労はかなりギリギリの
所まできていた様子で、すこし心の回復を図る必要があると自覚した為、

とうとう私も思い腰を上げてみたわけです。

でも、瞑想って難しい。

だって、私の頭の中は雑念だらけ。

自分の呼吸に意識を集中しようと思っても、
ついつい、あれやこれやと考えてしまう。

あれこれ考え事してたら、30分くらいすぐに経つのですが、
考えちゃいけない、考えちゃいけない、と30分すごすのはなかなか大変。

って、考えちゃいけない、って言ってる時点ですでに考えてる。

なので、今の私の場合状態では、とても瞑想してるとは言えないなあ。

私のは、「瞑想ごっこ」っていうくらいが適当かと思います。

Friday 2 March 2018

今更ですが、時間の使い方って難しいなあ。

仕事をパートタイムに切り替えて、自分の時間が増えて、
何よりも、身体が楽になってとてもうれしいのですが、
いきなり出来た時間の使い方について、少し迷走中です。

仕事を辞めたらやりたかった事が一杯あります。

一杯ありすぎて、優先順位がつけられず、
結局、今日は何をやってたっけ?という感じで一日が過ぎてしまう。

仕事なら、とにかく何も考えずにタスクをこなしていくのですが。

自分の自由になる時間だと思うと、妙に構えてしまうのです。
そして、夜になって一日をふりかえって、
結局何もやってないと自己嫌悪に陥ったり。

この数日間で、ダラダラと過ごしてしまった時間は絶対に戻ってこない、
と言うことを学びました。

45歳超えて、今更何を言ってるのかと思われるでしょうが、
頭では分かっていても、実感していなかったのです。

まあ、時間は浪費したかもしれませんが、
新しい学びがあったので、この学びを活かして今後の生活を
改善することができれば、全く無駄な時間ではなかったと言えるかも。

取り合えず、ルーティーンを作ることが大切かもしれませんね。

毎日毎日同じスケジュールで生活するのは無理としても、
一日の初めの1時間位はルーティーン化したら、その後の一日が充実するかもしれません。

元々、フルタイムで働いていると家事がおろそかになるのがストレスだったので、
しばらくは家事に精を出してみようかと思います。