Wednesday 2 June 2021

ココナッツウォーターの思い出

ワタシが始めてミャンマーを訪れたのは、いまから14年前、2007年のことでした。

当時のミャンマーは、民主化前の軍事政権の真っ只中。

気軽に観光旅行にいける雰囲気ではなかったのですが、義父の病状が思わしくなく、「今行かなかったら後悔する!」とミャンマー行きを決行したのです。

そんな状態ですので、ミャンマー到着後は、夫は病院で義父につきっきり。

ワタシはその間、ホテルでお留守番をしていたのですが、そんなワタシをかわいそうと思ってくれた夫の叔父が、いろいろヤンゴンやその近郊に連れ出してくれました。

ある日、河の中に立つパゴダに連れて行ってもらったのですが、パゴダへ向かう渡し舟の乗り場の向かいに、ティーショップがありました。

その日も暑い日で、ちょっとバテていたワタシを見て、叔父さんが、ちょっと冷たいものを飲もうと、そのティーショップに入りました。

すると、10歳にも満たないくらい、多分7歳か8歳くらいの女の子が、フレッシュココナッツウォーターを熱心にセールスしてきます。

叔父さん、日本人であるワタシにとって、フレッシュココナッツウォーターは珍しいだろうと、あっさりとお買い上げ。

でもきっと、小さな女の子がセールスしてきたというのも、影響していると思われます。

さて、注文を受けたその女の子、おもむろにココナッツと鉈をもってきて、ワタシたちの目の前で見事な手さばきで鉈をバンバンふるってココナッツを割ってくれました。

小さな女の子の豪快な鉈さばきによって手際よく割られたココナッツ。

ココナッツウォーター自体は、そんなに美味しいものではありませんが、その光景が、ワタシの心の中に、鮮明に記憶されたのです。

その2007年ミャンマー訪問の直後に義父が亡くなり、当時のミャンマーの政治情勢も、けっして安定はしていませんでしたので、義父が亡くなった後しばらくの間、ワタシたちがミャンマーに戻ることはありませんでした。

その後、ワタシたちがミャンマーに里帰りを始めたのは、ミャンマーの民主化が始まった2012年のことでした。

2012年以降は、1年か2年に一度くらいの割合でミャンマーに里帰りしていたのですが、2007年に叔父さんに連れて行ってもらった、河の中に立つパゴダを再訪する機会はありませんでした。

あれは、2016年の年末の事。

ミャンマーでは、自分の誕生日に僧院に昼食を寄付するという習慣があります。

僧院で修行する僧侶や、出家はしていないけど、僧院にこもって瞑想修行をしている人達の為の昼食を寄付するのです。

ちなみに、「昼食」を寄付すると言っても、自分たちで料理するわけではありません。

寄付するのは、昼食代。その日の昼食の費用を持つわけです。
お金で解決するわけですな。

寄付した人がちょいと奮発したならば、その日の昼食がちょっと豪華になったりする。

ところで、僧侶の昼食は、早いです。

なぜなら、僧侶は正午から翌日の日の出まで断食しなければならないから。
午前11時前には食べ始めて、11時半には食べ終わっています。

なので、僧院への昼食の寄付は、半日仕事ではあるのですが、主に午前中のアクティビティであります。

無事、食事が終わり、寄付者が僧院の偉いお坊さんにお祈りしてもらうセレモニーも終わって「さあ、ヤンゴンへ帰ろう」という段になって、夫が「この先に、河の中に立つパゴダがあるんだ。ちょっと足をのばして行ってみる?」と提案してくれました。

その僧院は、ヤンゴンからみて、昔、叔父さんが連れていってくれた河の中に立つパゴダへの道中にあったのです。

「その僧院、ワタシ、昔行ったことあるよ~。叔父さんが連れていってくれたんだよ~。懐かしいから、また行きたい~。」

というワケで、ちょっと遠回りをして帰る事に。

その、河の中に立つパゴダも、パゴダへ向かう渡し舟も、船乗り場の向かいにあるティーショップも、ワタシの記憶のままでした。

そして、パゴダ参拝を終えて渡し船から降りたワタシは、やっぱり暑さにバテておりました。

そして夫は、やっぱり叔父さんの甥なんやなあ。

暑さにバテているワタシをみて、ちょっと冷たいものを飲もうと、渡し船の乗り場の前のティーショップに入りました。

そこでは、7歳か8歳くらいの小さな女の子が働いていて、フレッシュココナッツジュースをセールスしてきます。

夫は、せっかくだからと、あっさり一つ注文。

なんか、デジャブー。

やっぱり、叔父さんと甥や。

女の子は、素晴らしい鉈さばきでココナッツを割ってくれました。

女の子が割ってくれたココナッツジュースを飲みながら、ワタシは言いました。

「昔、2007年に来た時、叔父さんがワタシを色々な所に連れて行ってくれて、それでここにも来たことがあるんやけど、その時も、叔父さんがこのティーショップでフレッシュココナッツジュースを注文してくれたの。

その時も、あの女の子と同じくらいの年頃の女の子がいてねえ、その子がココナッツを割ってくれたの。

このお店には、いつも働き者の娘さんがいるんやねえ。」

それに対して、夫がとても言いにくそうに言いました。

「いや。あの女の子は、このお店の娘ではないと思うよ。奉公人だよ。多分、10年前にいたという女の子も奉公人だよ。」









それ以降、ワタシは、ミャンマーで働いている子どもの姿が気になって仕方がなくなったのです。

ワタシはそれまで、チャイルドレイバーという問題が存在することは知っていたけれど、それはどこか、テレビとかインターネットのニュースと通してしか知ることの無い、遠い所で起こっている出来事だったのです。

多分、ミャンマーを訪れる多くの日本人旅行者は、飲食店で働く子ども達を見て、「家の手伝いをしてる良い子たちだな」ぐらいにしか思っていないでしょう。

なぜなら、普通の日本人の感覚では、10歳にも満たないような子どもが、お金を稼ぐためにお店で働いているとは考えにくいことだから。

そんな年齢の子どもたちなんですよ。

田舎町の、その辺りでは一番の観光地の真ん前にあるティーショップ。

だから、ワタシが2007年に行ったお店と2016年に行ったお店は、ほぼ100%、同じお店だと思うのですが、その主人の一家に、常に10歳に満たないくらいの女の子がいて、お店を手伝っているというのは、あまり考えにくい。

でもお店にとっては、彼女たちはけっこう良い労働力なんだと思います。

まず第一に、とても安い労働力だろうし、外国や都会から来た環境客は小さい女の子にセールスされたら、財布のヒモも緩んでしまいます。

なので、小さな子供がいる親が食い詰めてしまって、子供を奉公に出さなくてはならなくなった場合に、小さな女の子を引き受けているのかもしれません。

そう思って見てみると、ミャンマーのお店には、奉公人と思われる小さな子供が沢山働いています。

というか、そのお店の息子・娘がお手伝いしていると思っていた子供は、すべて奉公人だろうとの事です。

奉公に出された子供たちは、ある程度の年齢になれば、工場などで雇ってもらえるかもしれません。

そうすれば、少し生活は安定するのでしょうか。

でも、小さい時から学校にも行く事もできずに働いて、教育を受けてないから、大人になっても、お給料が安い仕事にしか就けない。

悪循環です。

やるせない気持ちになってしまった、ココナッツウォーターの思い出なのです。