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Thursday, 5 January 2023

諦めて、受け入れる事が肝心。

昨日は、自分自身のメモがわりに、心配事に関する名言を2つ投稿しました。

つまりまあ、心配事があるわけですな。

でもまあ、心配していても仕方がない。

大切なのは、世の中には自分ではどうにもできない事もあるのだと、諦めて受け入れる事です。

それができたら、心配事の半分は解決したような気がする。


世の中は、自分ではどうにもできない事の方が多いのです。

むしろ、ほとんどと言っても良いくらい。

それを嘆くのではなく、かと言って無視するわけでもなく、そういうものだと諦めて、そのまま、ありのままを受け入れる事ができたら、きっと、心穏やかに過ごせるのでしょう。


Thursday, 17 December 2020

壮大な責任転嫁

知らない間に、長い間ブログを書いてませんでした。

英国では、サマータイムが終了すると、ガクッと日が暮れるのが早くなってしまいます。

あれよあれよという間に、どんどん寒くなり日が短くなって、柄にもなく、どうやら少し落ち込んでしまっていたようです。

英国で冬を越すのは、今年で20回目。

今まで、こんな風に気が滅入る事はなかったのに、おかしいなあ。

やっぱり、コロナ禍でずっと家に引きこもってるのが影響してるのかなあ。

それとも、夫の勤める会社が倒産して失業したことが影響してるのかなあ。

多分、両方やろうなあ。

英国は、11月いっぱいコロナで全国都市封鎖してたし。

夫の会社の清算は10月末で終了し、11月からは失業者になったし。

そんな鬱々をした気分を少しでも何とかしようと、瞑想に精を出していたのですが、瞑想も、気分が落ち込んでる時にやると、さらに気分が落ち込んでしまう事もあるので、なかなか注意が必要です。

そんな中で、インターネットで、「禅」の言葉や考え方を通して、心を元気にしようというような記事を読みました。

その記事の中でワタシの目にとまった言葉は「自分でどうしようもできない悩みは、忘れちゃってよい。」

そうかあ。忘れてよいのかあ。目からウロコ!

なんて思いながら、夫と瞑想談義をしていまある朝。

朝から瞑想談義をする夫婦っていうのも、我ながらちょっとどうかと思いますが、まあ、仕方がない。

ワタシ:この前インターネットで読んだ記事にあったけど「禅」の考え方では、「自分でどうしようもできない悩みは、忘れちゃってよい」んやってね。

夫:そうだよ。自分の力の及ばない事象について、「それは自分の問題ではない」と忘れてしまうのは、瞑想テクニックの一つだよ。

ワタシ:ふむふむ。

夫:例えば、瞑想中に脚がしびれてどうしようもなくなったとする。

でも、長時間同じ態勢で座っていたら脚がしびれるっていうのは、地球上の殆どの人間について起こる事だよね。

つまり、それはボクだけの問題じゃない。人類すべての問題であり、ボクにはどうしようもない事なんだ。

だからこれは、ボクの問題ではない。

だから、瞑想中に脚がしびれても、それはボクの問題じゃないんだから気にしなくてもよいんだよ。

ワタシ:えええ。「人類すべて」とは!また大きくでたなあ、このヒト。


そうなのです。夫(ミャンマー人)の言う事にゃ、脚がしびれるのは人類すべての問題。

自分が考えたり思い悩んだりしても仕方がない問題なので、忘れちゃってOK。

なんとも壮大な責任転嫁です。

でも、自分ではどうしようもない問題は、自分の問題ではないから、その問題について思い悩む必要はない。

という考え方は、人生の中の色々な場面で、心を軽くしてくれるかもしれませんね。


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Saturday, 6 June 2020

ハロー、雑念。

一般的に瞑想とは、何か一つのことに意識を集中させる訓練です。

雑念が沸いてきたら、追い払って、また集中。

そうしたら、また雑念が湧いてくるので、また追い払って、再度集中。

これを繰り返すことによって、精神を集中させる「筋力」のようなものを養うわけです。

精神の筋トレみたいなものですな。

例えばアナパナ瞑想法は、自分の呼吸によって、鼻の穴を出入りする空気の動きに意識を集中するという瞑想テックニックです。

鼻がつまっている時は、どうしたらいいんだろう。



しばらく練習してみた結果、まあ、両方の鼻の穴が完全に詰まってしまわないかぎり、片方の穴が通っていれば、なんとかなるという事が判明しました。

ワタシの場合、両方の鼻の穴が詰まると、ちょっとパニック状態になってしまうので、鼻の穴を洗浄したりして、なんとか片方は通るようにしてるんです。

でも、ひどい風邪を惹いた時とか、花粉症が最盛期とか、鼻炎の人とかはどうするのかは、まだナゾのままです。

閑話休題。

瞑想とは、何か一つのことに意識を集中し、雑念が湧いてきたら、それを追い払って、また集中。また雑念が湧いてきたら、また追い払って、再度集中。を、繰り返す、筋トレみたいなものなだと、ワタシは理解しておりました。

なのですが、先日、ワタシの瞑想の師匠である夫(ミャンマー人)が、今までのワタシの瞑想の常識をくつがえすような、代替瞑想テクニックの存在を教えてくれたのです。

なんと呼べばよいのでしょう。言うならば、雑念瞑想とでも呼びましょうか。

「雑念を追いはらう」のではなく、「雑念を受け容れ、客観的に観察する」瞑想です。

例えて言うならば、自宅を訪ねてきたお客さん(雑念)を、「今は忙しいから、また次にして下さい」と追い返すのが、いわゆる普通の瞑想。

「よく来たね」と、お客さん(雑念)を招き入れ、お茶を出して出迎えて、お客さんの話をゆっくり聞くのが、代替瞑想テクニック=雑念瞑想。

おおお!なんと画期的!

でも、ワタシみたいな素人が下手にやったら、それは「瞑想」ではなく、ただの「考え事」になってしまうのではないかと思って、踏み出せずにいるのです。


Thursday, 4 June 2020

ミャンマー人にとっての瞑想は、日本人にとっての自転車に近い(ような気がする)

昨年、ワタシが初めて瞑想合宿に参加した時、周囲の反応が、日本人とミャンマー人で全然違うのに驚きました。


ワタシの家族や友人、会社の同僚にとっては、10日間の瞑想なんて未知の世界なので、みんな興味津々。

それに対して、夫(ミャンマー人)の友人達(ミャンマー人)は、「ちょっと人間ドックに入ってくる」と言った人に対するような反応です。

今年は、ワタシの周囲の人達も、二回目なのでそれほど驚きませんでした。
それででも、ワタシが一回目の苦しさに懲りずに、二回目に挑戦するという事に驚くというか、感心する人もいましたが。

日本人にとっては、「瞑想」というのはそれほど身近なものなのではないようです。

禅寺とかありますがね。

ワタシが子供の頃、ちょうど小学校に登校するために家を出るくらいの時間に、近くの禅寺の僧侶が托鉢で近所を歩いていたのですが、ワタシはそれが怖くて怖くて。

だって、黒い袈裟を着て藁の傘をかぶったお坊さん達が、何人も何人も、低い声で「オゥーーーーーーム」って唸りながら、縦一列に並んで練り歩いてるんですから。

近所のおばさんなんかは、その声を聞くと家から出てきて、お坊さんに寄付をしていましたが、子供心には、そんな僧侶達は恐怖の対象でしかなく。

「オーーーーー」のおじさんと呼んで、怖がっていました。

ワタシにとって、禅寺との初めての出会いは、そんな感じ。

当時は、彼らが、禅寺という種類のお寺で修行している僧侶で、朝に行列して練り歩くのは「托鉢」という修行の一貫であるという事を知りませんでした。

ましてや、彼らの修行の中に「瞑想」が含まれるという事も。

そういう事を学んだのは、その後、ずっと大きくなって、日本有数の禅寺の一つ、永平寺に見学に行った時です。

日本人にとって「瞑想」とは、禅寺で修行する僧侶が行う「特別」なものであり、一般人が日常に行うものではない、という印象があると思うのです。

でも、ミャンマー人にとって「瞑想」とは、とても身近なものなんですよねえ。

適当にミャンマー人をつかまえて、「瞑想のやり方しってる?」って聞いてみたら、殆どの人が、「知ってる」と答えるんではないでしょうか。

うちの夫(ミャンマー人)の様に、普段、日常的に瞑想している人となると、少し割合が減るかもしれませんが。

それはですねえ、なんとなく、日本人にとっての自転車のような感じなんですよ。

適当に日本人をつかまえて、「自転車乗れる?」って聞いてみたら、殆どの人が「乗れる」と答えるでしょう。

日常的に自転車に乗ってるかどうかは別として。

自転車に乗るのって、身体で覚えるスキルで、一回覚えたら忘れないから、日本では、子供が小さい間に教え込みますよね。

ミャンマーでは、それが「瞑想」なのです。

瞑想も、ある意味、身体で覚えるスキルで、一回覚えたら鈍ることはあっても忘れないから、ミャンマーでは、子供が小さい間に教えるんだと思うのです。

なので、ミャンマー人にとって「10日間の瞑想合宿に行く」というのは、日本人にとって「10日間のサイクリングツアーに行く」という感じなのかもしれません。

日本人にとっての、こんな会話が、

A: 今度の休みは、10日間のサイクリングツアーに行くんだ~。

B: いいなあ。ストレス解消もできるし、身体も引き締まるかも。
  ところでワタシ、最近運動不足で太ってるのよねえ。

ミャンマー人にとってはこんな風になるのでしょう。

A: 今度の休みは、10日間の瞑想合宿に行くんだ~。

B: いいなあ。頭がスッキリするだろうなあ。
  オレ、最近血圧高いから、10日間くらい瞑想したら良くなるかなあ。

そう考えてみたら、最初の反応の違いも納得です。

ちなみに、これはあくまでもワタシの私見ですが、ヤンゴン育ちのミャンマー人は、あんまり自転車に乗るのが上手くないような気がする。

サンプルは夫(ミャンマー人)一人なので、全く信憑性にかけるのですが。

だってヤンゴンって、二輪車(バイクや自転車)禁止なので、「サイカー」と呼ばれる自転車タクシーみたいなの以外は、街中で自転車乗ってる人、殆ど見かけなかったんですよ。

もしかしたら、今は自転車はOKなのかもしれませんが。

前回のミャンマー訪問時(202019年1月)には、Uber Eats みたいな、自転車のフードデリバリーをヤンゴンで見かけました。

フードパンダっていうのかな?パンダのマークのバッグを持ってました。

ミャンマーも、どんどん新しいビジネスが始まってるなあ。



Friday, 29 May 2020

幸せとは、「一万時間の瞑想」

以前、「幸せ」 とは何か?と色々な人に質問している動画を見た事があるのですが、その中で仏教の修行僧(多分、ミャンマーかタイ)が、「一万時間の瞑想」と答えてました。

「一万時間の瞑想」かあ。

一日1時間としたら、一年で365時間。3年で1,000時間、約30年。

そしてワタシは、現在47歳。

30年だったら、今からやれば77歳頃には到達できそうです。でも今の状態のワタシは、平均一日1時間の瞑想時間を確保できていません。

今の所、何とか確保しているのは、平均一日30分。

もし、一日30分だったら、一年183時間。6年で1,000時間だから、約60年ね。

60年だと、今からだと107歳までかかってしまう。

それはムリだ。さすがに、107歳まで生きる自信はない。

ではもし、一年に一回、10日間の瞑想合宿で一気に70時間瞑想して追い上げたならば?

そうすれば、一年で約250時間。4年で1,000時間だから、約40年です。

40年やったら、今からやっても、87歳。まだ間に合う!

というワケで、今後は、たとえ瞑想センターの瞑想合宿に参加できなかったとしても、一年に一回、10日間の自主合宿を決行しようかと検討中です。

「瞑想一万時間」。

なんか、「海底二万マイル」みたいね。

一万時間瞑想したからと言って、人生における物理的な何かが、大きく劇的に変わるって事はないと思います。宝くじにあたるとか。

でも、仏教の修行僧が「幸せとは一万時間の瞑想」って言ってるんだから、きっと、精神的に何か変化が起きるのではないかと、ちょっと期待してたりして。

でも、一生のうちあまり早い段階で幸せになってしまったら、後は落ちる一方みたいで嫌なので、「瞑想一万時間」の到達は、87歳くらいがちょうど良いのです。





Thursday, 28 May 2020

瞑想生活、7日目の試練

コロナウィルス問題で、ロンドンは都市封鎖、英国の片田舎ににある瞑想センターも閉まってしまって、今年は、ヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加できなくなってしまった我々夫婦。

でも、有給休暇を来年に繰り越したって、世の中の経済が動き出せば、我々の仕事だって忙しくなります。

そうなったらゆっくり休んでいられないから、せっかくならば予定通りにお休みとって、Staycation って言うんですか?お家でゆっくりしましょうという事になりました。

せっかくお休みするならば、コロナウィルス問題で参加を諦めた、ヴィパッサナー瞑想10日間コースを、自宅でできるかぎりやってみようではないかと、10日間の瞑想自主合宿を決行いたしました。

10日間瞑想自主合宿https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2020/05/10.html

タイムテーブルはこんな感じ。

4:30 - 5:00  Wake Up
5:00 - 6:00  Meditate 1
6:00 - 8:00 Walk/Shop/Breakfast
8:00 - 9:00 Meditate 2
9:00 - 10:00 Break/Book
10:00 - 11:00 Meditate 3
11:00 - 13:00 Cook/Lunch
13:00 - 14:00 Break/Piano
14:00 - 15:00 Meditate 4
15:00 - 16:00 Break
16:00 - 17:00 Meditate 5
17:00 - 18:00 Tea/Break
18:00 - 19:00 Meditate 6 
19:00 - 20:00 Break/Book
20:00 - 21:00 Meditate 7
21:00 - 4:30 Sleep

3日目までは、身体がバキバキになってツライです。

でも、4日目からは、身体がなれてきたのか少し楽になって、頭がスッキリし始めます。

頭がスッキリしてくると、嬉しくなって、頑張れてしまうのです。

この調子なら、10日かん、楽勝~なんて思っていたら、7日目あたりに、もう一つの山にぶちあたりました。

なぜか、集中できなくなったのです。

一時間、色々な雑念が頭の中でグルグルしながら、(つまり、考え事しながら)座ってるだけ、なんてセッションが多々でてきます。

なんかもう、瞑想している意味がないような気がして、これではダメだ!と集中しようとするのですが、焦れば焦るほど、色々な考えが頭の中を駆け巡ります。

おそらくこれは、ワタシの心の中に、欲があるからなのだと思います。

瞑想して、上手く精神を集中することができると、心がとても穏やかになって、安らかな気持ちになります。そして、なにか光のようなものを感じるらしいです。

その状態を、「サマディ」と呼ぶのですが、ワタシの心には、10日間の瞑想生活で、この「サマディ」を経験したいという欲があるのです。

なので、瞑想生活も7割過ぎて、まだ「サマディ」らしきモノを感じていないワタシは、焦ってくるわけですな。

でも、「サマディ」というものは、それを経験したいと強く願えば願うほど、逃げていくものなのです。

「サマディ」を経験したいと思うのも、雑念ですからね。

そんな、心の空回りが、7日目の山。

これを越えれば、後はもう、瞑想生活も残りわずか。

残された時間を大切に、各セッション、真剣に瞑想に向き合おうという姿勢を取り戻すことができました。

その頃、夫(ミャンマー人)はラストスパートをかけてましたが。

一時間のセッションを、自分だけ1時間15分に延長したりして。

休憩時間も惜しんで瞑想する夫。

さすが、ミャンマー人やなあ。

Wednesday, 27 May 2020

一日7時間瞑想すると、身体がバキバキになります。

今年は、コロナウィルスによる歳封鎖のため、ヴィパッサナー瞑想10日間コースへの参加を諦めたワタシ達。

でも、有給休暇を残しておいても仕方がないので、パアーっと使っちゃおうと、予定通り有給休暇をとって、自宅で、10日間の瞑想自主合宿を決行いたしました。 


タイムテーブルはこんな感じ。

4:30 - 5:00  Wake Up
5:00 - 6:00  Meditate 1
6:00 - 8:00 Walk/Shop/Breakfast
8:00 - 9:00 Meditate 2
9:00 - 10:00 Break/Book
10:00 - 11:00 Meditate 3
11:00 - 13:00 Cook/Lunch
13:00 - 14:00 Break/Piano
14:00 - 15:00 Meditate 4
15:00 - 16:00 Break
16:00 - 17:00 Meditate 5
17:00 - 18:00 Tea/Break
18:00 - 19:00 Meditate 6 
19:00 - 20:00 Break/Book
20:00 - 21:00 Meditate 7
21:00 - 4:30 Sleep

ピアノは、瞑想センターに行くとピアノの練習ができなくなるのが不満だったので、せっかくの自主合宿ならば、そこは妥協してピアノの練習の時間をとりました。

Bookというのは、瞑想センターでは、瞑想・仏教に関する法話の時間があるのですが、自主が宿にはそれがないので、その代わりに休憩時間に、瞑想・仏教に関する本を読んだりすることにしました。

こんな感じで、1時間のセッションを7回の瞑想生活に突入したのです。

これがですねえ、3日目までが一番つらかった。

一日7時間、胡座をかいてじっと座っていると、身体がバキバキになるのです。

ワタシも夫も、は仕事では一日8時間以上座ってますが、椅子やからなあ。

床に直に座っての7時間はツライ。

江戸時代の商店の番頭さんとか、正座でそろばんパチパチを、一日8時間もやったはったんやろうか。すごいなあ。

インドでヨガが発明されたのは、瞑想で身体がバキバキになったからに違いない。

ヨガの動きは、瞑想でバキバキになった身体をほぐすのにピッタリです。

でもそれが、4日目になると、少し楽になるのです。

身体が慣れてきたのか、ワタシの神経が、身体バキバキ状態に慣れてきたのか。

どちらかは分かりませんが、少し元気になる。

そして、4日目くらいから、頭がスッキリしてくるのです。

ヴィパッサナー瞑想10日間コースでは、つらかったら脱落しても良いという事なのですが、実際に脱落する人は殆どいません。

でも、その数少ない脱落者は、大体、3日目くらいで脱落するそうです。

身体がバキバキになって、でもまだ、瞑想の良さ(頭がスッキリしてくる)を感じられないので、最初の3日間が一番ツライのです。

その山を越えれば、10日間の完走は難しくありません。

でも、ワタシの場合、もう一つ山があったのです。


Tuesday, 26 May 2020

10日間瞑想自主合宿

コロナウィルス猛威をふるう中、皆、旅行に行けないので、有給休暇を使う事ができません。

英国では、ワークライフバランスの為、有給休暇の繰り越しは、付与日数の20%程度しか認められていなかったと思うのですが、今年については、特別、有給休暇の繰り越しを認めるという旨の英国政府のアナウンスがありました。

とはいえ、有給休暇を繰り越して、来年に大量の有給休暇をもらっても、旅行に行けるような状況になるということは、経済がある程度元に戻っているという事で、そうなったら、こなすべき自分の仕事量も元に戻っているわけで。通常の倍の有給休暇を使うのは、そう簡単ではありません。

なので、同僚達も、旅行にはいけないけれど、Staycation とでも言うのでしょうか、お休みをとって、お家でゆっくり本を読んだり、DIYをしたりなんていう、有給休暇の使い方をしているようです。

さて、我々は、この5月には、昨年も夫婦で参加した、ヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加しようと計画していたのです。


でも、この瞑想コースって、基本、他人との合宿生活で、グループ瞑想タイムには、みんな、瞑想ホールに集まって瞑想します。

ソーシャル・ディスタンスを保てないので、今年の瞑想合宿は中止。(瞑想センターが一般の参加を中止してる。 )

でも、だからと言って、瞑想合宿の為の有給休暇をキャンセルして、来年に繰り越しても仕方がない。

というわけで、せっかくなので、当初の計画通り有給休暇をとって、お家で10日間の瞑想自主合宿を決行することにしました。

一日7時間の瞑想。

10日で70時間。

なかなかハードなホリデーでした。

Tuesday, 21 April 2020

瞑想中に「良いアイデア」が浮かんだら、それは瞑想としては失敗

瞑想していると、驚くほど色々な雑念が浮んでは消え浮んでは消えするんです。

そして瞑想とは、雑念が出てくる度に「あ、雑念だ!」と気付いて、それを追い払うという作業の繰り返しです。

瞑想中の雑念は玉石混合ですが、その中には、我ながらけっこう「良いアイデア」なんじゃないかと言うものも出てきたりして。

「瞑想で良いアイデアが湧いてくる。」それって、もしかして雑念では。。。
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2020/01/blog-post_13.html

なまじ、自分でも「良いアイデア」だと思うような事を思いついてしまうと、ついついイヤラシイ心がでてきてしまいます。

そのアイデアを、瞑想のセッションが終わるまでを覚えておこうとしてしまうんです。

そうなってしまうと、もう、そのセッションは瞑想としては失敗です。

最近、そういう感じのセッションがチラホラ出てきたような気がするので、なんとかならないものかと、対策を検討中。

今、考えているのはこんな感じ。

「良いアイデア」が出てきた場合、一次中断してササっとメモをとる。
メモした後は、安心してその件の事は忘れて、瞑想に集中する。 

一時中断してメモっていうのは、瞑想中の行いとしては好ましくありません。
しかし、メモすれば、それ以降、安心してその件について忘れる事ができます。
無理にそのまま続けて、そのセッションをすべてパーにするよりはマシなのではないでしょうか?

でも、その行動に慣れてしまって、頻繁にメモをとるようになってしまったら、それは「瞑想」ではなく、単なる「考え事」になってしまうのでは?

っていうか、何も考えないようにしようとするほうが、考え事がはかどるっていうのは、どういうことなんでしょう。

人の脳というのは、不思議なものですね。


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Sunday, 19 April 2020

貯金を取り崩して住宅ローンを完済した理由

我が家は、昨年(2019年)の秋、繰り上げ一括返済にて住宅ローンを完済いたしました。

なけなしの貯金をはたいての暴挙です。

フラットを買ったのは2008年の春なので、約11年半で住宅ローンを完済した事になります。

長いといえば長いし、短いといえば短い。

ローンは25年で組みましたので、けっこう繰り上げ返済を頑張りました。

というのも、フラットを購入した2008年の春って、リーマンショックの直前だったのですよ。(購入した時点で、若干の予兆はあったのですが。)

つまり、フラットを買った途端に、世の中の景気がどんどん悪くなっていったのです。

我々夫婦も、いつ失業するかわからない。

そして、金利はどんどん下がっていく。

ラッキーにも、ローンは変動金利で借りていたので、金利が下がるにつれ、月々の返済額も減っていきました。

まずはその、月々の返済額が減った分を、繰り上げ返済にまわしていきました。

我が家としては、購入当初に設定された返済額を遵守したのです。

「その返済額を払っていける」と考えてローンを組んだわけですからね。

繰り上げ返済は返済額低減型で行い、さらに月々の返済額を減らしていきました。

そして、繰り上げ返済で返済額が減った分も、繰り上げ返済へ。

あくまでも、淡々と、購入当初に設定された返済額を遵守したのです。

そうして、銀行との取り決め上の、月々の返済額を、徐々に減らしていきました。

もし夫婦どちらかが失業したとしても、一馬力で家計を支えられるように。

実際、途中で一度、夫が失業した期間がありました。

さすがに、その間は繰り上げ返済をお休み。

その頃には、ワタシ一人のお給料で、月々の返済と生活費をまかなうことができるようになっていたので、大分精神的に助かったと思います。

そんな感じで、地道に繰り上げ返済を行って、ローンの残高が、夫婦の貯金残高とほぼ同額となったところで、一括返済という暴挙にでたのです。

これをワタシ個人的には、「貯金の壁」と呼んでいます。
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2019/08/blog-post.html

さて、なぜ貯金を放出してまで、ローンを一括返済したのか?

ずっと返済額低減型の繰り上げ返済をしていたので、その頃の月々の返済額は、留学生なんかがフラットシェアで払っている金額よりも低くなっていました。

それくらいの返済額なら、ローンはゆっくりと払って、手元のキャッシュを増強するほうが、リスク回避という観点では正しい動きの様に思えます。

それでも我が家が、貯金を放出してローンを一括返する事を選んだのには、もっと、瞑想的な理由があるのです。

というのは、借金があると、僧侶になれないのです。

そして、ミャンマー人男性は、一生のうち何度かプチ出家をいたします。

夫(ミャンマー人)、只今ミャンマーでプチ出家中。
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2018/06/blog-post_18.html

実際問題、プチ出家をするにあたっては、住宅ローンみたいなローンの有無は問題にならないようですが、やっぱり精神的に引っかかる。

前回、夫(ミャンマー人)がプチ出家をした時も、少し心にひっかかっていたようです。

我が家の住宅ローンは共同名義なのですが、「ボクが出家中は、テンポラリーに、家のローンは全部君のものね!」と借金を(精神的に)全部ワタシに押し付けて、プチ出家していきました。

実際に名義変更したわけではありませんが。

ヒドイ。。。

そんなわけで、ローンの残高が、夫婦の貯金残高とほぼ同額となった時点で、悩みながらも、一括返済という暴挙にでたのです。

一時的に貯金額が大幅に減少する事には、大きな不安がありましたが。

それが、翌年にはこのウーハンウィルス新型コロナウィルス騒動。

夫の会社は、一部の社員をレイオフし始めました。

レイオフ-furlough という単語をやたら耳にするようになった。
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2020/04/furlough.html

そんな中で、貯金を大幅に減らしたばかりの我が家。

まあ、それも人生ねえ。

でもまあ、住宅ローンの返済がなくなった分、月々の支出も大幅に減ったから、なんとかなるでしょう。


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Sunday, 29 March 2020

やりたい事はいっぱいあるのに、ついついダラダラしてしまう。

休日って、やりたい事はいっぱいあるのに、ついついダラダラしてしまうもんです。

特にサラリーマンの週末。

やりたい事はいっぱりあるけど、1週間頑張って働いて疲れてるし、、、

もうちょっとだけゆっくりしてもバチはあたるまい。。。

もうお昼かあ。まあ、まだ午後があるから大丈夫。
3時くらいから活動をはじめようかな。

夕方から活動でも大丈夫かな。

あああ、もう夜かあ。

そろそろ眠いなあ。今日はもう寝よう。

という感じで、結局、一日中ダラダラしてしまい、せっかくの休みをムダに過ごしてしまったと後悔し、罪悪感に打ちひしがれるのです。

ワタシの場合、セミリタイア中なので働く日よりも休日の方が多いので、「せっかくの休み」という感じではないのですが、それでも、休みの日には、いろいろやりたい事があると計画を立てつつも、結局、ついついダラダラと一日を過ごしてしまい、夜になって後悔する、という事は、大変頻繁に起こっています。

でも、ふと思ったのですよ。

やりたい事はいっぱいあるのに、ついついダラダラしてしまう。

という事は、つまり、本当の所、一番やりたい事は、ダラダラする事なのでは。

「やりたい事」というのは、確かに「やりたい気持ち」もあるんだろうけど、「やりたい気持ち」が100%というワケではなく、ある程度の割合で「やるべき事」「やらなければならない事」という要素を含んでいたりするわけです。

つまりその、「やるべき事」「やらなければならない事」という要素が、「やりたい」という要素に打ち勝ってしまうから、ダラダラと先延ばしにしてしまうワケですな。

一方、「ダラダラする」というのは、「やるべき事」「やらなければならない事」という要素が全く含まれない、「100% やりたい事」なのです。

「やるべき事」「やらなければならない事」という要素が全く含まれないから、一日ダラダラしてしまった日には、後悔し、罪悪感に打ちひしがれるのです。

でも、一日中ダラダラした日っていうのは、「自分が一番やりたい事がやれたんだから、それで良し」としたら良いと思うのですよ。

そして、後悔することもなく、罪悪感に打ちひしがれることもなく、次の日は気分を切替えて、「やるべき事」「やらなければならない事」という要素が含まれた「やりたい事」をやっても良いし、やっぱりダラダラしたければ、一日ダラダラすれば良いのです。

ワタシの2020年の抱負は、「真剣にダラダラする事。」

漠然と考えていること。セミリタイア生活の終わりのはじまり。
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2019/12/blog-post.html

ダラダラする事に罪悪感を感じることなく、思いっきりダラダラしようと思います。

その一つの方法として、瞑想する時間を増やしていけたらなあ。

ワタシの理解する所では、瞑想とは、積極的に「何もやらない」という事なので、真剣にダラダラするというのは、かなり瞑想に近いのではないかと思うのです。

こんな事を言ったら、ワタシよりも遥かに真剣に瞑想に取り組んでいる夫(ミャンマー人)に怒られるかもしれませんが。


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Wednesday, 26 February 2020

ハロー、パニック。

どうやらワタシは、マイルドにパニック障害の気があるようです。

風邪ひいた時だったか花粉症の時だったか、鼻がつまっている時に夜中にふと目が覚めて、そしたら、周りが真っ暗で自分が呼吸困難の状態であったため、軽くパニックになってしまったのが始まりです。

その後も時折、軽くパニック状態になる事があるんですが、大抵は、風邪か花粉症で、鼻がつまっている時です。

瞑想をするようになってからは、「パニックかな」と思ったら、自分の呼吸に意識を集中する「アナパナ」と呼ばれる瞑想テクニックでもって瞑想をする事によって、気分を落ち着けることができるようになりました。

先生、鼻がつまってる時はどうしたら良いんですか?:ヴィパッサナー瞑想10日間コース(6)
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2019/09/10_13.html

でも、この「アナパナ」とは、鼻の穴を出入りする空気の動きに意識を集中するというテックニックでありまして、「鼻がつまっている時にはどうしたらよいのか」という一見バカなようでいて、かなり本質的な大問題は、未だ先生に質問できないまま、未解決です。

実は、今のところ、瞑想中に両方の鼻の穴が完全につまってしまうと言う事態には、まだ直面していないのですね。

でもまあ、いざとなったら「鼻がダメなら、口で息をすれば良いじゃない」という、マリー・アントワネット戦法で頑張ろうかな、と思ったり。

でも、口で息をするとなると、現在「アナパナ」で練習している意識の集中のやり方では上手く行かないような気がするので、マリーアントワネット戦法は絵に描いた餅になるかもしれません。

でも、「最悪の場合は、口で息をすればよい」と思う事によって、不安感がかなり減るので、それだけでも役に立ってるかも。

ところで、不安感を減らすという意味では、先日、瞑想に関するドキュメンタリーをみていた時に、とても画期的な方法知(というか考え方)に出会いました。

ドキュメンタリーに出ていた僧侶は、瞑想のエキスパートなのですが、彼も、若いときからパニック障害があるというのです。

でも、彼はパニックを恐れてはいません。

むしろ、好きなくらいだそうです。

パニックがやってきたら、「ハロー、パニック」と、パニックを観察するのだそうです。

「ハロー、パニック」って。。。

ハローキティーじゃあるまいし、、、と思ったりもするのですが、そもそも、瞑想というのは、自分の精神や身体を観察するという事が基本になるのです。

なので、パニックも観察対象になるわけですね。

まあ、パニックは、ワケがわからないから怖いのであって、観察して、何かが良く分かるようになれば、そんなに怖くはなくなるのかもしれません。

ワタシも、マイルドパニックが訪れた際には、「ハロー、パニック」戦法で対抗してみようと思います。


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Tuesday, 21 January 2020

「今は何もやりたくないから、瞑想でもしよっか」という感じの生活を目指そう。

今年は、今までになく瞑想に凝ってるワタシ。

とは言っても、夫(ミャンマー人)みたいに一日一時間の瞑想はヘビーなので、基本、一日30分の瞑想を目標としています。

でも最近、30分瞑想を短いと感じる今日この頃。

何故なら、雑念だらけだからです。

特に、色々やることがあって忙しい日なんかは、ついつい瞑想の後にやる事の段取りなんかを頭の中で組み立ててしまう。

これではいかん!

移動中とかに、頭の中でその日のタスクの段取りを考えるというのは、ビジネスパーソンにとっては有効な時間の使い方かもしれません。

いわゆる、「マルチタスク」というやつですね。

でも「瞑想」とは、「マルチタスク」の対極を行くものなのです。

名付けて、「ノータスク」。

何もやらず、何も考えず、精神を無にすることが瞑想なのですよ。

むしろ、「今は何もやりたくない~。」という状態の方が、瞑想に向いているのかも知れません。

忙しいビジネスパーソンが、多忙な毎日の中にスキマ時間を見つけて瞑想するっていうのは、気持ちの切替が難しいかもしれません。

どうしても、その時間を何か他の事に有効利用しようという、イヤラシイ心が出てきてしまいますからね。

でも、瞑想にあてるはずの時間を有効活用しようと、他の事を考えた時点で、瞑想には失敗しているわけです。

「マルチタスク」とは、一見時間を節約できるに見えますが、実際の所、あまり節約できていないと思うのですよ。

「一石二鳥」を狙うイヤラシイ心を持つと、むしろ、結果的には時間を浪費する事になりかねません。

一つ一つ、確実に物事をこなすほうが、長い目で見れば、効率的に物事を進めることができるかもしれないのです。

「急がば回れ」です。

ちなみにこれは、自分自身に対する戒めの言葉であります。

そして、どんない多忙な毎日を過ごしている人も、一日のうちに一度は二度は、「今は何もやりたくない」という時間があると思います。

そういう時間を、瞑想にあてることができれば、雑念が入ってくる危険性が減るのではないかと思ったりしてます。

ワタシにとっては、寝起きの時間がそんな感じ。

低血圧で寝起きが悪くて、目が覚めてすぐに活動できないのですよね。

とりあえず目が覚めたけど、身体がまだ動かないから、何もやりたくないのです。

そんな時に、「とりあえず瞑想でもしよっか」と、カジュアルに瞑想する生活を目指しています。


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Wednesday, 15 January 2020

食べ瞑想。

今年のワタシは、今までになく、瞑想に夢中です。

瞑想とは、「何も考えず、心を無にして一定時間を過ごす」ことであり、それは畢竟、「究極のダラダラ」といえるのではないでしょうか。

今年は「真剣にダラダラする」と心に決めたワタシとしては、とても気になるモノなのです。

さて、瞑想には色々有ります。

座り瞑想(座禅ともいう?)、歩き瞑想。

そして、食べ瞑想。

この食べ瞑想っていうのはが、なかなか難しい。

食べて美味しい!と思うのはOK

でも、それでおしまいにいないといけない。

「美味しい」ということを認識して、それでおしまい。

それ以上のジャッジメントをしてはいけないのです。

つまり、これはどうやって味付けしてるんやろう?

とか考えながら食べるのはダメらしい。

なぜなら、どうやって味付けしてるとか考えるのは、すなわち、「美味しい」と思ったものを、自分で料理する時に再現しようと目論んでいるわけで、それは「欲」らしいのです。

そういった「欲」を排除して、中立・公平な姿勢で食べ物に対峙しなければならないのです。

例えば、自腹で高いお金を払って高級レストランで食事したのに、思ったより美味しくなかったら、ガッカリしますよね。

はりきって手の込んだ料理を作った時、せっかく一生懸命作ったのに自分の思った通りに仕上がらなかったらガッカリしますよね。

なぜガッカリするかというと、食べる前に何らかの期待値があるからです。

お金を払ったり、自分で作ったりすると、そのお金や努力に見合う味を期待してしまうのです。

その期待は、すなわち「欲」なのです。

なので僧侶は、自分でお金を払う事なく、自分で料理する事なく、寄付されたものを何でも受け入れて食べる必要があるのです。

それは、食べ物に対して何らかの期待も持たず、それが美味しくても、それほど美味しくなくても、ジャッジする事なく、ただ、食べ物をそのものを認識し、食べるという行為に付随する一連の動作を認識して行うためです。

それって、なかなか難しいと思うのですよ。

ワタシにはできないなあ。

レストランで美味しいもの食べたら、何が入ってるのか、どうやって調理したのか、気になります。機会があれば、家で似たようなものを作りたいな〜って考えてしまうもん。

(食)欲にまみれたワタシには、食べ瞑想は、当分無理そうですね。


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Monday, 13 January 2020

「瞑想で良いアイデアが湧いてくる。」それって、もしかして雑念では。。。

夫(ミャンマー人)の趣味は、瞑想です。

本人にとっては趣味というよりはライフワークのようなものだと思いますので、趣味だといったら怒られるかもしれません。

でも、What are your hobbies? の言い換えとして、What do you do in your free time? というのが一般的であるこの世の中、自分の自由になる時間にやる事=趣味と呼んでもよいのではないでしょうか?

Q: What are your hobbies? 
A: Meditation.

というのは、なんか抵抗があっても、

Q: What do you do in your free time?
A: Meditation.

という会話なら、なんか普通な感じです。

夫の履歴書の趣味欄にはなんて書いてあるのかなあ。

Hobbies じゃなくて、Interests っていう見出にして、Meditation と書いてるかもしれません。

そんな夫に誘われて、昨年、ワタシもついに重い腰をあげ、「ヴィパッサナー瞑想10日間コース」なるものに参加してみました。
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2019/07/10.html

なかなかつらい10日間でしたが、このコースを終えて、ようやく瞑想の世界の入り口に立てたという感じです。

せっかく入り口を覗けるところまで来たので、家でも瞑想を習慣づけたいと考えているのですが、これがなかなか難しい。

夫が毎日やっているというのに、ワタシはついついサボりまくり。

でも、今年こそは、真剣にダラダラすると決めた今年こそは、一日30分でよいので、毎日瞑想する習慣をつけたいのです。

漠然と考えていること。セミリタイア生活の終わりのはじまり
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2019/12/blog-post.html

瞑想とは、何も考えずに心を無にして一定の時間を過ごすわけですから、まあ、ある意味、究極のダラダラだと思うんですよね。

「今、何もやる気がでないから、瞑想でもしよっか」という感じの人間を目指します。

さて、せっかく毎日取り組むならば、もう少し瞑想について調べてみようと、ちょっとググッて見たところ、最近、色々な有名企業や著名人が瞑想を取り入れたライフスタイルを実践されているらしいですね。

でも、おそらく彼らは、ワタシの様に、「究極のダラダラ」とか「何もやる気がでないから、瞑想でもしようか」というようなスタンスで、瞑想に取り組んでいるわけではなさそうです。

その中で見つけたのが、「瞑想で良いアイデアが湧いてくる?」という記事。

この説が気になって仕方がない。

確かに瞑想すると頭がスッキリしますので、「瞑想後のスッキリした頭で考えると、色々よいアイデアが湧いてくる」というのならば納得なのです。

なので、おそらく、この説はそういうことなんだと思います。

でも、もしかしたら、もしかして、瞑想中に色々なアイデアが湧いてくるなんて事を言ってる?

もしそうだとしたら、それ(良いアイデア)って、雑念なのでは?

瞑想してると、驚くほど色々な雑念が浮んでは消え浮んでは消えするんです。

普通に生活しているときにも、雑念は浮んでは消え浮んでは消えしてると思うのですが、そういう雑念の多くは、外からの刺激に誘発されたものです。

でも、瞑想中の雑念は、自分の中から湧きあがって来る雑念です。

それは、昨日見たテレビドラマの内容かもしれないし、はるか昔の子供の頃の思い出かもしれない。

自分が過去に何気なく見聞きして無意識に記憶している事柄かも知れないし、一見無関係に見える複数の事柄が、ふとつながって出てくるかもしれない。

瞑想中の雑念は玉石混合ですが、その中にはきっと、「良いアイデア」もあるかと思います。

そして、瞑想とは、雑念が出てくる度に、「あ、雑念だ!」と気付いて、それを追い払うという作業の繰り返しです。

なので、普通に生活しているときよりも、自分の雑念に気づき易いんですよね。

雑念が湧いたら追い払おうと、観察しているわけですから。

「あ!雑念だ!追い払わなきゃ!でも良いアイデアだ!」と言う感じ。

でもそれって、瞑想的には「雑念」なのよねえ。

ちなみにワタシは、瞑想中にその日の献立を思いつくことが多いですね。

無意識に、今、冷蔵庫にはアレがあってこれがあって、アレとこれをこうやってそれを作ろう、なんて。

「あ!雑念だ!追い払わなきゃ!マーボー豆腐!」


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Friday, 10 January 2020

ミャンマーの夏

いつも暑いようなイメージがあるミャンマー(というか東南アジア)ですが、一応ミャンマーにも、季節はあります。

主に3つ。

Three Seasons です。

そういえば以前、ミャンマーのカヤー州の州都、ロイコー(Loikaw) という町に行った時に泊まったホテルの名前が、Three Seasons Hotel といいました。

この名前を見て、「ああ。ミャンマーは四季ではなく三季の国なんだなあ。」とシミジミすると同時に、かの有名な Four Seasons Hotel にインスパイアされた名前なのではないかという疑惑はぬぐえず、大丈夫なのかと少し心配にもなりました。

まあ、ロイコーなんて、世界の田舎のミャンマーの中でも、さらに田舎の町なので、天下の Four Seasons Hotel の目に留まることはないだろうから、大丈夫でしょう。

そんなミャンマーの Three Seasons。

まあ、いつも夏みたいなものですが、ざっくりとこんな感じに分けられます。

乾季の夏:3月から5月中旬
雨季:5月下旬から10月
乾季の冬:11月から2月

この3つの季節。いつも暑いのですが、暑さが微妙に異なります。

乾季の夏:天気が良くてお日様カンカンで、メチャクチャ暑い。
雨季:雨が多くて、降ってないときでも曇り空で、蒸し暑い。
乾季の冬:天気が良くてお日様カンカンで、けっこう暑い。

気温にしてみたら、ざっくりと感じる気温はこんな感じです。

乾季の夏:`35℃から40 ℃くらい。日中は下手したら40℃を越えることもある。
暑すぎてお昼は外出無理。少なくともワタシは無理。
日差しが強いので、日中は屋外プールで泳ぐのも危険かも。
屋外プールで泳ぐなら、夕方まで待ったほうが良いです。
日中は、日陰でビール飲むに限ります。

雨季:30℃から32℃くらい。
曇り空なので、日差しがマシ。でも蒸し暑いので汗がすごい。
雨が降ったら道が洪水になる危険性があるので、速やかに屋内に非難すべし

乾季の冬:30℃から32℃くらい。
雨季と気温は同じ位ですが、乾燥しているので過ごしやすい。
でも、お天気が良い分、日差しは結構キツイ。
まあ、日中に屋外のプールで泳いでも命の危険は感じないかなあ。
朝晩は気温が下がって結構快適になります。ミャンマー人にはちょっと寒いくらいのようです。(だから彼らにとっては「冬」なのですよ。)

まあ早い話が、いつも夏なんですね。

でもやっぱり、乾季の夏には破壊力があります。

気温が35℃を超えってのは、暑いね!

外気が体温とあまり変わらない、もしくは体温より高くなるわけですから。

先日の記事:入ってくる息と出ていく息
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2020/01/blog-post_7.html

にも書きましたが、ワタシは瞑想にて「自分の呼吸」に意識を集中する際に、鼻の穴の形のせいなのか、集中力がないせいなのか、「空気の動き」を感じるのが難しいのです。
なので、「吸気」を感じる為に、息を吸った時に入ってくる空気と体温との温度差に頼っている部分がかなり大きい。

でも、乾季の夏のミャンマーでは、温度差戦法さえ使えないんだなあ。

もしくは、息を吸った時に入ってくる空気が体温より熱くって、温度差を感じたりして。

ああ~。イヤだ~。そんな暑いところで瞑想なんてできない~。

ブッダって、えらいねえ。インドで瞑想してたんだもんねえ。


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Tuesday, 7 January 2020

入ってくる息と出ていく息

人というものは、入ってくるものは気にするけれども、出るものは気にしない傾向にあるようです。

先日の記事:入ってくるものは気にするけど、出るものは気にしない。
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2020/01/blog-post_57.html

この記事で、ワタシが最も書きたかった事は、ゴーンさんの逃亡の事でもなく、日本の主入国管理の問題点の事でもありません。

ワタシ最も強調したかったのは、健康や美容の為、食べるものにはものすごく気を使ってる人でも、ウ○コの事はそんなに気にしない、という事です。

よく、意識高い系のヒト達が、「食べるものは身体を作るから、食費は減らせない」とか何とか言いながら国産品の肉や野菜にこだわって家計における食費を膨らませていたりします。

そういう人達は、食べるものには気を使ってるけど、はたして、出すものには注意を払っているのでしょうか?

毎日トイレで、自分のウ○コをしげしげと観察したりしてるのでしょか?

ウ○コは健康のバロメーターといいますから、食べるものに気を使っているならば、それと同じくらいに、出たものにも注意を払った方が良いと思うですがね。

小さなお子様を持つお母さん達は、子供のウ○コを観察しているようですが。
でも、そんなお母さん達も、自分のウ○コはあまり観察していないように思うのです。

さて、昨年ワタシが重い腰をあげてとうとう参加した、ヴィパッサナー瞑想10日間コース。このコースでは、まず二つの瞑想テクニックを教えてもらうのですが、その中の一つが、「アナパナ」というテクニックです。

これは、自分の呼吸に意識を集中させるというテクニックです。

先生、鼻がつまってる時はどうしたら良いんですか?:ヴィパッサナー瞑想10日間コース(6)
https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2019/09/10_13.html

瞑想とは、そもそも、何かに意識を集中させることによって、雑念を払う、つまり「何も考えない」状態になる事だと思うのです。

そして「アナパナ」とは、「自分の呼吸」を意識を集中する対象とするわけですね。

アナパナに置いて集中すべき事は、「呼気」と「吸気」。そして、呼吸することによって発生する「空気の動き」です。

呼吸する際に鼻の穴の入り口を通過する「空気の動き」に意識を集中させるのです。

そして、ワタシのような、ペッタンコの鼻にポンポンっとパンチで空けたような鼻の穴が付いている鼻の形の人間にとっては、鼻の穴の入り口を通過する「空気の動き」を感じるのは、かなり難しい。

集中力が足りないのかもしれませんが、やっぱり鼻の穴の形の問題も大きいと思うのです。

そんなワタシでも、吸気、つまり入ってくる息は感じやすいのですね。

だって、大抵の場合、外気は体温よりも低いので、冷たい空気が鼻の穴の中を通るわけですから、温度差がある分、感じやすいのです。

でも、難しいのが、呼気、つまり出て行く息。

出て行く息は、体温で温まってますから、体温とほぼ同じ温度の空気なのです。

つまり、温度差がない。

純粋に、空気の動きだけを感じなければならない。

ワタシの場合、呼気が鼻の穴の出口を通っていくのを感じられることは、ほぼありません。

時々、本当に集中できた時だけ。

でも、呼気を呼気が鼻の穴の出口で感じられるくらいに集中できた時には、なんか、幸せな気分になるというか、頭がスッキリするというか、そういうステキな感じになるのです。

この、ステキな感じを再度味わいたいというのが、瞑想しようとしようモチベーションになるワケですね。

しかし、、、我ながら、「ステキな感じ」っていう表現はヒドイなあ。




ヴィパッサナー瞑想10日間コース
瞑想と四十肩(もしくは五十肩)
瞑想ハイ:ヴィパッサナー瞑想10日間コース(2)
周囲の反応:ヴィパッサナー瞑想10日間コース(3)
瞑想コーススケジュール:ヴィパッサナー瞑想10日間コース(4)
2つの瞑想テクニック:ヴィパッサナー瞑想10日間コース(5)
先生、鼻がつまってる時はどうしたら良いんですか?:ヴィパッサナー瞑想10日間コース(6)
入ってくる息と出ていく息


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Wednesday, 20 November 2019

瞑想と麻薬(LSD)

麻薬には、大きく分けて、眠たくなるものと目が覚めるものとがあるようです。

眠たくなるのは、多分、大麻とかアヘンとか?

幻覚をみたり、気持ちよくなって何もやる気がなくなって、ご飯食べるのも面倒になって廃人になってしまうタイプの麻薬ですね。

目が覚めるのは、きっと、覚醒剤とかコカインとか?
頭が冴えて感覚が鋭くなって、疲れを感じなくなって生産性が上って、高揚感や万能感を感じるタイプの麻薬ですね。

LSDもきっと、目が覚める方に分類されるんじゃないかなあ。

ウィキ先生によると、LSDを使用すると 「知覚が先鋭化し、色彩はより強烈になり、輪郭はより鋭利になり、音楽はより情感を帯び、そして周囲のものが重大な意味を持つもののように思えてくる。」そうです。

そんな映画がありましたねえ。Limitless (リミットレス)でしたっけ。

脳を100%活性化する新薬と出会った男が、人生のどん底から財界の頂点へと駆け上がる。でも、その新薬には恐ろしい副作用が、、、という話。

なんとなく、アーティストとか金融街のエリートみたいに、常に高いパーフォーマンスを要求される仕事に就いている人は、目が覚める系の麻薬を使用する傾向にあるような気がする。

激務で疲労困憊している所に、「疲れが取れる」とか甘い言葉で誘われて、誘惑に負けて始めてしまうのかもしれません。

一度足をつっこんでしまうと、仕事のプレッシャーから逃れる為に、止められなくなってしまうのかも。

さて先日、夫(ミャンマー人)から麻薬に関連するのすごい発言が。。。

夫:瞑想すると、LSDを使用したのと似たような脳の状態になるらしいんだよ。

ワタシ:えええ。

夫;まあ、DIY麻薬だね。

ワタシ;Do It Yourself 麻薬!

夫:LSDっていうのは、どうやら、世の中の在り方を理解したような気分になるらしい。そして、瞑想するってことは、薬を使うこと無しに、苦労して自分で脳をその状態に持って行くということなんた。

ワタシ;仏陀や弟子が、長時間瞑想を続けてついに開眼したとか何とか仏教の法話であるけども、そんなに長時間瞑想してすごいな~と思ってたけれども、彼らは実は、瞑想ハイやったんかい!

夫:でも、瞑想は自力だから良いんだよ。副作用もないし。薬に頼っちゃいけない。

ワタシ;・・・

まあ、ランニングハイってのもありますので、瞑想ハイってのも有りかもしれません。

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