Thursday 4 June 2020

ミャンマー人にとっての瞑想は、日本人にとっての自転車に近い(ような気がする)

昨年、ワタシが初めて瞑想合宿に参加した時、周囲の反応が、日本人とミャンマー人で全然違うのに驚きました。


ワタシの家族や友人、会社の同僚にとっては、10日間の瞑想なんて未知の世界なので、みんな興味津々。

それに対して、夫(ミャンマー人)の友人達(ミャンマー人)は、「ちょっと人間ドックに入ってくる」と言った人に対するような反応です。

今年は、ワタシの周囲の人達も、二回目なのでそれほど驚きませんでした。
それででも、ワタシが一回目の苦しさに懲りずに、二回目に挑戦するという事に驚くというか、感心する人もいましたが。

日本人にとっては、「瞑想」というのはそれほど身近なものなのではないようです。

禅寺とかありますがね。

ワタシが子供の頃、ちょうど小学校に登校するために家を出るくらいの時間に、近くの禅寺の僧侶が托鉢で近所を歩いていたのですが、ワタシはそれが怖くて怖くて。

だって、黒い袈裟を着て藁の傘をかぶったお坊さん達が、何人も何人も、低い声で「オゥーーーーーーム」って唸りながら、縦一列に並んで練り歩いてるんですから。

近所のおばさんなんかは、その声を聞くと家から出てきて、お坊さんに寄付をしていましたが、子供心には、そんな僧侶達は恐怖の対象でしかなく。

「オーーーーー」のおじさんと呼んで、怖がっていました。

ワタシにとって、禅寺との初めての出会いは、そんな感じ。

当時は、彼らが、禅寺という種類のお寺で修行している僧侶で、朝に行列して練り歩くのは「托鉢」という修行の一貫であるという事を知りませんでした。

ましてや、彼らの修行の中に「瞑想」が含まれるという事も。

そういう事を学んだのは、その後、ずっと大きくなって、日本有数の禅寺の一つ、永平寺に見学に行った時です。

日本人にとって「瞑想」とは、禅寺で修行する僧侶が行う「特別」なものであり、一般人が日常に行うものではない、という印象があると思うのです。

でも、ミャンマー人にとって「瞑想」とは、とても身近なものなんですよねえ。

適当にミャンマー人をつかまえて、「瞑想のやり方しってる?」って聞いてみたら、殆どの人が、「知ってる」と答えるんではないでしょうか。

うちの夫(ミャンマー人)の様に、普段、日常的に瞑想している人となると、少し割合が減るかもしれませんが。

それはですねえ、なんとなく、日本人にとっての自転車のような感じなんですよ。

適当に日本人をつかまえて、「自転車乗れる?」って聞いてみたら、殆どの人が「乗れる」と答えるでしょう。

日常的に自転車に乗ってるかどうかは別として。

自転車に乗るのって、身体で覚えるスキルで、一回覚えたら忘れないから、日本では、子供が小さい間に教え込みますよね。

ミャンマーでは、それが「瞑想」なのです。

瞑想も、ある意味、身体で覚えるスキルで、一回覚えたら鈍ることはあっても忘れないから、ミャンマーでは、子供が小さい間に教えるんだと思うのです。

なので、ミャンマー人にとって「10日間の瞑想合宿に行く」というのは、日本人にとって「10日間のサイクリングツアーに行く」という感じなのかもしれません。

日本人にとっての、こんな会話が、

A: 今度の休みは、10日間のサイクリングツアーに行くんだ~。

B: いいなあ。ストレス解消もできるし、身体も引き締まるかも。
  ところでワタシ、最近運動不足で太ってるのよねえ。

ミャンマー人にとってはこんな風になるのでしょう。

A: 今度の休みは、10日間の瞑想合宿に行くんだ~。

B: いいなあ。頭がスッキリするだろうなあ。
  オレ、最近血圧高いから、10日間くらい瞑想したら良くなるかなあ。

そう考えてみたら、最初の反応の違いも納得です。

ちなみに、これはあくまでもワタシの私見ですが、ヤンゴン育ちのミャンマー人は、あんまり自転車に乗るのが上手くないような気がする。

サンプルは夫(ミャンマー人)一人なので、全く信憑性にかけるのですが。

だってヤンゴンって、二輪車(バイクや自転車)禁止なので、「サイカー」と呼ばれる自転車タクシーみたいなの以外は、街中で自転車乗ってる人、殆ど見かけなかったんですよ。

もしかしたら、今は自転車はOKなのかもしれませんが。

前回のミャンマー訪問時(202019年1月)には、Uber Eats みたいな、自転車のフードデリバリーをヤンゴンで見かけました。

フードパンダっていうのかな?パンダのマークのバッグを持ってました。

ミャンマーも、どんどん新しいビジネスが始まってるなあ。



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