Sunday 29 October 2017

ミイラ取りがミイラになる。

「ミイラ取りがミイラになる。」
っていう、日本語の表現があると思うのです。

、、、ありますよね?

ちょっと自信がなくなってきたのですが、
ググッて、みたらヒットしたので、
これは我が家の実家語ではないと思う。

自分の日本語について、時折、これは我が家の実家語では?
と疑わなくてはならない状況にあるので、ヒヤヒヤものです。

さて、「ミイラ取りがミイラになる。」

英国人同僚にこの言葉と使う状況を説明して、
こういうのは、英語で何て言うの?と聞いてみたところ、

"hunter becomes the hunted"

かなあ?との事。確かに、こんな感じ。

ちなみに、「ミイラ取りがミイラになる。」でググると、
結構いろんな英訳がでてきますが、

"Many go out for wool and come home shorn."

っていうのが、一番多い気がします。

ところで、

うちの瞑想好き夫。

我が家の小さな2ベッドルームフラットで、2つ目のベッドルームは
シングルルームベッドルームでとっても小さいのですが
普段、その部屋は書斎として使っていて、夫はそこで瞑想もしています。

ところが、今朝突然、うちのフラットの屋根裏をロフトコンバージョンして、
瞑想部屋(兼書斎)にしたらどうだろう?と話し始めました。
「ここから階段作って、あーしてこーして、断熱材いれて、
窓もいるなあ、それにはカウンシルの許可が要るかなあ、
あれこれあれこれ、、、」とひとしきり話した後、瞑想してくる、
と言ってチビルームに行って瞑想しいたようなのですが、

瞑想が終わって今にきた夫。開口一番、

「瞑想部屋の事を考えて、瞑想に集中できなかった」

これは、一種の「ミイラ取りがミイラになる。」だと思うのですが、
どうでしょうか?

Friday 27 October 2017

ロヒンギャ難民問題について、インターナショナルメディアが偏った報道をしていると思う件。

最近のミャンマーのロヒンギャ難民の問題。

私が入手できる情報は、英国での報道がほとんどですが、
日本ではどのように報道されているのでしょうか?

インターネットの日本語のニュースを読む限りでは、
日本のメディアも英国BBC同様、ロヒンギャ難民寄りな感じですね。

まあ、この問題は今に始まった事ではなく、
長い長い歴史の中で、常に続いていた確執との事ですので、
どちらが正しいとか悪いとか、簡単に判断できる問題ではないので、
それについての考察は控えます。

夫が言うには、ロヒンギャ難民問題がおきている地域は、
ラカインというミャンマーの民族の一つが住む地域なのですが、
その地域はもともとそんなに裕福な地域ではないそうです。

例えば、その辺りの地域を訪れた国際組織の医師が、
ロヒンギャの子供の栄養状態を診て、とても悪いと診断したとします。
ロヒンギャの子供は十分な栄養を得ることができていない。
この地域ではロヒンギャは差別されているから、
子供たちが栄養失調なんだと言います。

でも、本当にそうなのか?
もし、その医師が隣の村の、ラカインの子供の栄養状態を診たとしたら、
きっと、同じくらい栄養失調なのではないか?

私の印象では、インターナショナルメディアは、
現在、偏った(ロヒンギャ寄り)の報道をしていると思う。

まあ、弱いものを味方をしたくなるのはしょうがないけどね。

そして、残念なことに、地元のミャンマー人の言い分は、
ほとんどミャンマー語であるために、国際社会には報道されない。

ランゲージバリアだと思います。

日本も、言葉の面ではかなりガラパゴスだとは思いますが、
このような政治的にも大切な問題ならば、きっと国内も意見も
英語に翻訳して発信されることでしょう。(きっと!)

でも、現在のミャンマーのロヒンギャ問題に関しては、
各国のメディアが、自国から送ったレポーターの報告を受けて
(もしくは、英語ベースのニュースを買って)
報道しているだけで、ミャンマー内部からの声が
国際的に報道されているという感じがしません。

ですので、報道の立ち位置がとても偏っているような気がします。

ジャーナリズムの基本は、中立ではないのでしょうか?
今の報道を見ていると、とても、そうとは思えません。
それが、ランゲージバリアなのでしょうか?

Monday 23 October 2017

疲れると、物を捨てる事も出来ない。

貧乏性なのでしょうか。
物を捨てる決心をするのに、パワーが入ります。

なので、疲れてる時は判断するパワーがないので、
不要物を捨てるという作業をする事ができなくて、
だんだん物がたまっていくのです。

でも逆に、疲れてる時に誰かから、
これはもう要らないから捨てた方が良いんじゃない?
と言われたら、反論する事なくさっさと捨てる事ができるということに、
最近、気がつきました。

邪魔くさいから、考えたくないんですね。

物を捨てる決心をするのがストレスであるのと同じくらいに、
物がたまってくる事もストレスであるので、
誰かに背中を押してもらえたら、もう捨てちゃえ、という気持ちになる。

少し休んだら、物を捨てる判断を自分自身でできるくらいの、
元気が出てくるかなあ。

それまでは、とりあえず買いません!
物を減らすには、まず、増やさない事が大切です。




Sunday 22 October 2017

心はすでに、セミリタイアモード

さて、最近の私は、会社を辞めようか
やっぱり辞めるべきではないか
とグルグルと悩んでおりました。

なぜそんな事で悩んでいるかというと、
セミリタイアしたい為です。

セミリタイアして、パートで少しだけ働くのが理想です。

それなら、今私がやりたいこともやれるし、
細々と稼いで少額でも National Insurance を収めたら、
その年は、State Pension の Qualifying Year になります。

英国の新年金制度では、State Pension の受給資格を得るためには、
10年間の Qualifying Year が必要です。
そして、満額受給するには、30年間の  Qualifying Year が必要。

調べてみたら、私は現時点で13年の Qualifying Year があるようです。
少なくとも、受給資格はあるという事で、ホッと胸をなでおろす。
でも、満額受給の30年までは結構長い道のりです。

State Pension の Qualifying Year のためには、
National Insurance を収めなければならない。
(それ以外にも Qualifying Year となる条件はありますが、
私には当てはまらないので、すっとばします。)

その為には、フムフム、課税年FY17/18の場合、
税引き前で年間8,160ポンドの年収がある場合、
National Insurance を収めなければならないようです。

という事は、私としては、ざっくりと税引き前で年間8,200ポンド程度の
収入を見込めるパートタイムの仕事につけたら、助かるわけです。

これくらいの金額なら、大体時給12ポンド以上であれば、
週2日程度の仕事でも到達しそうです。

もしくは、ホリデーカバー等の単発派遣を何件かやる。
産休カバーでも良いけど、ちょっと一つの仕事が長い。
一回の産休カバーで課税年度2年に渡ってくれるような産休カバーとかが
あったら、助かるなあ。

心はすでに、セミリタイアモード。
うふふ。

Saturday 14 October 2017

選挙について色々考える

さて本日は、在外選挙の投票に行ってきました。
日本在住の方々より、一足早い投票です。

私の投票用紙が、一週間かかって地元の選挙区に届けられるんだなあ、
と、思うと感慨もひとしおです。

しかし、英国EU離脱の国民投票でも思ったのですが、
民主主義というのは、難しいものですね。

国の政治というリーダーシップを、誰(どの政党)に任せるか。
そんな大切な事を決めるための選挙なのですから、
投票する側にも、それぞれのマニフェストをしっかり吟味して
健全な判断を下すだけの、十分な知識と思考能力が必要です。

民主主義とは、国民全体の教育水準がある程度になってこそ
機能する制度だと思います。

昔、日本に“民主主義”が初めて導入された時は、
ある程度納税した成人男性にのみ参政権が与えられたと、
歴史の授業で習ったような覚えがあります。

つまり昔の日本では、貧乏人と女子供はアホやから、
国政に関わる重要な意思決定に関わる資格はないと、
思われていたわけですな。多分。

教育制度が整うにつれ、貧乏人や女性も教育が受けられるようになり、
教育によって得た知識や思考能力がムーブメントを起こして
参政権が貧乏人や女性にも与えられたわけです。
(と、私は思う。)

さすがに今でも子供には与えられていませんが、
最近、選挙権年齢も18歳にひきさげられましたね。

特に女性の参政権については、その昔
時代の最先端を行く教育を受けた女性運動家の方々のおかげで、
今、私のような庶民の女性にも参政権があるのです。

なので私は、自分に参政権が与えられている事に感謝し、
今は日本に住んでいませんが、選挙には参加しています。

そして、投票するからには、できる限りニュースなどで情報を集め、
マニフェストを読んだりして、誰(どの政党)に投票するかを決めています。

自分の一票なんて、結果に影響しないからどうでも良い、
とは思わないでください。

それが積もり積もったら、英国EU離脱の国民投票のような結果を
起こすかもしれません。

Saturday 7 October 2017

Kazuo Ishiguro さん、ノーベル文学賞受賞!

おめでとうございます!

彼は、5歳に時に英国に移住し、そのまま英国に帰化した日系英国人との事ですね。
英国で高く評価されている作家であり、ニュースを見たときにも、
「ああ、そうなのか」と、すんなり納得できました。

ところで私、彼の著作の一つ、
「Never Let Me Go」(邦題「私を話さないで」)を
以前購入いたしました。

多分、その時はこの作品が映画化された時だったのかと思います。
インターネットをブラウズしていて、
うっかりネタバレ記事を目にしてしまったのです。

その記事は、読んだというよりちょっと見ただけだったのですが、
日本語だったので、大事な部分は理解してしまいました。

よりにもよって、この作品についての重要な部分を。。。

そのショックが大きすぎて、それからすっかり読む気がなくなり
積読していたのですが、この機会に重い腰をあげて
読んでみようと思います。

皆さん、ネタバレにはご注意ください。

まあ、今となってはネタバレショックも薄らいできたので、
今なら読めるような気がします。

皆さん、ネタバレにはご注意ください。

さて、ノーベル文学賞といえば、、、

残念ながら村上春樹氏は、今年も逃してしまいましたね。

なんとなく思うのですが、彼は一生ノーベル文学賞は取れないような気がする。

こんなことを書くと、ハルキストから盛大なブーイングを受けそうな気がしますが。。。

私は、村上春樹氏が嫌いなわけではないです。

いや、むしろ好きだと思う。

彼の文章は、ポップでおしゃれで、流れるように心地よい。

彼の作品の魅力は、(私の意見では)ストーリーというよりは、
文章を読んでいる心地良さなので、一回読んだ本も再読したくなる。

そして、再読する場合、はじめからもう一度読んでも良いけど、
適当に開いてそのページを読んだとしても、楽しめてしまうのです。

文章の心地よさ。

私としては、彼の作品のようなポップでおしゃれで心地よい文章は
十分に純文学だと思う。

でも、きっと彼の作品には、ノーベル文学賞が求めているような、
泥臭さとか、悲しみとか、苦痛とか、
そういったものがちょっと足りないのかもしれません。

なので、きっとハルキ氏はノーベル文学賞は取れないんじゃないかなあ。
でも、それはハルキ氏の作品が他の人の作品より劣ってるとかじゃなくて、
ノーベル文学賞のカラーに合ってないんだと思うの。

芥川賞とか直木賞とかにも、カラーがあるしねえ。

何はともあれ、今年のノーベル文学賞は、日系の作家という事で
日本でも色々話題になってるようですね。

何卒、ネタバレはしないようにしてください。
これ以上犠牲者を増やしてはいけない。。。



Thursday 5 October 2017

ちょっと働く。

日本で言う、パートですね。

日本では、結婚している場合、103万円の壁やら
配偶者控除やら年金の第3号被保険者やら
健康保険の扶養に入るやら何やら、等々、
色々壁があって障害物競走みたいになっていますが、
英国の場合は、そういったものは一切ありません。

結婚していても、個人は個人。
私が会社を辞めて専業主婦になっても夫の税金の額は変わりませんし、
夫の会社が扶養手当をくれるわけでもない。

夫は、私が会社を辞めたら、
夫の会社のプライベート健康保険に私も入れてくれると言ってますが、
夫本人の分は無料ですが、私の分は夫のお給料から天引きです。
まあ、会社の福利厚生の保険なので、普通に入るよりは掛け金は安いのですが。

というわけで、英国でパートで働く際には、
日本ほど色々な制度の面で一番特になる働き方を模索する為に
頭を悩ませる必要は無いのです。

一人当たりの年間の課税最低限度額(Personal Allowance)というのを
超えた分に課税されるのですが、
それが2017/18課税年度では、年間 11,500ポンド
今のレートで年間170万円くらいでしょうか。
(1ポンド=150円弱)
月、1000ポンド弱、14万円ほどの収入であれば、
ほぼ税金を払う必要はありません。
ただ、National Insurance という名の税金があり、
それは、月680ポンド(10万円ほど)を超えると掛かってきますので、
注意が必要です。(月680ポンド超えた分の12%がかかります。)

でもまあ、例えば収入が月1000ポンドくらいならば、
税金はほぼ無し、National Insuranceも、40ポンド弱(6000円程度)となり、
パートで働くならば、それくらいが目安かと考えています。

税金を払いたくないわけではないのですが、
仕事に費やす時間とお給料の関係を考えて場合に、
税金が掛からない程度に働くのが、一番、効率が良いように感じるのです。
(あたりまえか)

働くのは週2,3日で、一ヶ月の額面が1000ポンドくらいになる仕事があればよいなあ。

Monday 2 October 2017

会社を辞めないという事

前回、会社を辞めるという事
という記事を書きました。

今働いている会社に、退職の意思を伝えるにあたって、
私にとって、会社を辞める事と言う事は、どういう事なのかを
考えていたのですが、色々考えて混乱してきたので、
今度は、逆の事を考えてみようと思います。

つまり、会社を辞めないという事。

私にとって、会社を辞めないということは、どういう事なのか。

まず一番にくるのは、経済的な問題。

辞めなかったら、少なくとも今の安定した収入が確保できます。
元々そんなに贅沢したいわけでもないし、
普通に生活して普通にホリデーに行くことができるくらいの収入があれば
充分な私としては、今の収入でも別段困ることはありません。

そして次にくるのは、「やることがある」ということ。

今の会社で私がやっている仕事は、必ずしも私が
人生で一番やりたいと思っている事というわけではありません。

でも、人間というものは、やることが無いというのも
ストレスなのです。

なので、働いていれば、少なくとも「やることが無い」ストレスからは
脱却できます。

私は意外と、この「やることが無い」ストレスを恐れているのだと思います。

そしてもう一つは、社会への参画意識。
というか、自分は(家族以外の)誰かの役に立っているのか?という意識。

実は、よくよく考えてみると、会社勤めをしているというだけで
社会の役に立っていると考えるのは、おこがましいとおもうのですが、
でも、少なくとも働いていれば、お客様や同僚などに
ありがとうと言ってもらえたり、そういったちょっとした
人との交流で、人の役に立っているような気がするのです。

そして、働いていたら色々つらい事がありますが、
それでも、ありがとうの一言でそれが吹っ飛ぶこともあるのです。
(もちろん、吹っ飛ばない事も多々ありますが。)

あらら。

こう考えてみたら、仕事を辞めないという事も、なかなか良いかも知れません。

でも、私は今から65歳までの20年間を、
フルタイムで働いて消耗するのはいやです。

老後資金を貯める為に、今を犠牲にして働くなんて、
何の為に生きてるのかわからない。

なので、良いトコ取りをしたいと思うのです。

ちょっと働きつつリタイアして、やりたい事をやる。

ちょっと働いてたら、金額はは少なくても一応収入があるだろうし、
一応やることもあるので、「やること無いストレス」の事は、
そんなに心配しなくて良いと思う。
そして、社会参画できてる感じもするし。

なので私は、パートタイムの仕事を探そうと思います。