Monday 22 June 2020

愛しのお財布もセミリタイア。

巣ごもり生活を始めて、はや3か月超。

ふと気がついたら、お財布を使わなくなっていました。

とは言っても、お金を使わなくなったワケではないよ。

ちゃんとしたバッグを持って、どこかに出かけるという事がなくなったから、お財布を持たなくなったのです。

買い物は、朝のウォーキングのついでに、最寄りのスーパーマーケットでササっとすませます。

ウォーキングなので、荷物は最小限。

家の鍵と携帯電話。そしてエコバッグと、クレジットカードとスーパーのポイントカードと10ポンド紙幣一枚が入ったカードケースをポケットに突っ込んで出かけます。

ワタシのお財布は、すっかりこのカードケースになってしまいました。

車の免許証をもらった時についてくるような、プラスチックのカードケースです。

多分、街を歩いてる時に、無料で配布しているのをもらったんだと思う。何かの広告が印刷された、プラスチックのカードケース。

これにカード二枚と紙幣一枚を入れてジーンズのポケットに突っ込んだものが、ワタシのニューお財布です。

以前は、バーバリーの素敵な財布を使っていました。

25年くらい前、ロンドン旅行に来た時に奮発して購入したお財布です。

当時で200ポンド以上したので、多分、今の物価だったら、300ポンド以上するのではないでしょうか。

でも今、バーバリーに行っても、同じ型のお財布はもう売ってないみたいです。

奮発して買った高級財布なので、購入後しばらくの間は、もったいなくて使えませんでした。

でもある日、先代のお財布を、スリにすられてしまったのです。

その時は、めちゃくちゃ落ちこみました。

ロンドンに語学留学していた時で、ただでさえお金がないのに、お財布をすられるなんて。

まあ、貧乏学生でしたので、お金は殆ど入ってなかったのですが。

入っていたのは、ほんの少しの現金と、学生証とかバスの定期。

でも、財布が盗られちゃったのは、痛かった。

貧乏学生でしたので。

代わりのお財布を買おうと思っても、まともなお財布は結構高い。

でもワタシはその時、数年前に奮発して買ったは良いけど、もったいなくてずっと使えなかった、虎の子のバーバリーのお財布を、語学留学にも持ってきていたのです。

背に腹は代えられないと、ついにその時、そのバーバリーのお財布を使い始めました。

使い始めた経緯が経緯なので、それ以降のワタシは、スリに関しては、常に超警戒態勢。

それから約18年、バーバリーのお財布は、いまだ無事にワタシの手元にあります。

ちょっとくたびれてきてますが、まだまだ使える状態です。

やっぱり、良いものは長持ちするなあ。

そんな、使ってない時も含めたら、彼此もう25年以上も連れ添った、愛しのバーバリー財布。

この巣ごもり生活によるライフスタイルの変化の為、あっさりと不要になってしまいました。

今、流行りの「断捨離」をやっている人ならば、こういうのってあっさり捨てちゃうのかなあ。

でもワタシには、こんなにセンチメンタルバリューがあるものを捨てられそうにはありません。

元々ワタシは、モノが捨てられないヒトなのです。


なのでこの、愛しのバーバリーのお財布には、セミリタイアしてもらう事にしました。

普段、現金は10ポンド札1枚しか持ち歩かないワタシですが、自宅には、もう少し現金を置いています。

10ポンドなんて少額を、使う度にATMでおろすのはめんどくさい事この上ないので、ATMで現金をおろす時は、一回100ポンドくらいまとめておろしています。

まあ、まとめておろすっていっても、100ポンドって日本円では1万3千円くらいですが。

それ以上おろすと、その現金を持って家に帰る道中が怖いので、一回におろすの100ポンド程度です。

それを家に置いといて、買い物に行くときは、ちびちびと10ポンドずつカードケースに入れているのです。

基本、買い物はクレジットカードなので、現金を使うのは月に50ポンド程度です。

なので、ワタシがATMで現金をおろすのは1~2カ月に一回。

そして家には、出番が来るまで家で待機している10ポンド札が数枚あるわけです。

わが愛しのバーバリー財布には、今は、そのお金の金庫番をしてもらっています。

まあ、セミリタイアみたいなもんですね。

長い間、お疲れ様でした。

ワタシはきっと、今後もアナタ以上のお財布には出会えないでしょう。

でも大丈夫。

これからワタシは、お財布なし生活を送るのです。


Monday 15 June 2020

会社に行って働くのも、悪くはない事もあるかも。

自宅勤務を始めて、もう、かれこれ3カ月。

すっかり、引きこもり生活に慣れてしまい、コロナ問題が終わっても、このまま在宅勤務を希望しようかと思っているくらいです。

でも一つだけ、会社に行って働くのも、悪くはないかもと思うことがあります。

自宅勤務だと、無駄がなさすぎて、少し味気ないんですよね。

同僚とのコミュニケーションは、メールやチャット、ビデオ通話があるので困りはしませんが、そういったコミュニケーションは、あくまでも、目的ありきなんですね。

直接、仕事でかかわる事のない同僚と連絡を取ることは、まずありません。

でも、会社に行って働いていると、キッチンでお茶を作りながら立ち話したり、トイレの洗面台で度々見かけて顔を覚えたり、エレベーターでたまたま乗り合わせたり、っていう風に、直接仕事でかかわる事のない人と、「ちょっと立ち話」する機会があります。

自宅勤務だと、それが全く発生しない。

そんな、仕事とは関係ない「ちょっとした立ち話」は、無駄な時間といえば無駄な時間ですが、会社における人間関係の構築に、意外と役立っていたんだなあ。なんて、再確認。

その向かい、電子辞書が出始めたころ、アンチ電子辞書の先生に言われた事を思い出します。

紙の辞書をひくと、目的の単語の前後左右にある単語もなんとなく視界入るので、ふと、なんとなくついでにその部分も読んだり、それが印象に残ってその単語も覚えられたりする。

でも、電子辞書だと、そのものずばり、検索した単語だけがディスプレイに表示されるので、そういう偶然の出会いがない。

確かに、紙の辞書をひくのには時間がかかるし、電子辞書に比べたら、効率的ではないかもしれないけれども、そういう「ムダ」が、人生の肥やしになるんだと思うのです。

わざわざ物理的に会社に行って仕事をするというのも、同じようなものかもしれません。

暑い中寒い中、苦労して満員電車にのって、テクテク歩いて会社に行って。

会社に行くだけで時間も体力も消耗してしまうけど、それでも、物理的に会社に行って、同僚とアナログなコミュニケーションを行い、時々、仕事に関係のない人と仕事に関係のない立ち話をする。

すごい無駄だと思いますが、その「ムダ」が、人生の肥やしになってたのかもしれない。

失くして初めてわかる、有難さって言うんでしょうか?

でもやっぱり、ワタシは今後も、在宅勤務の続行を希望する所存でございます。


Friday 12 June 2020

アーリーリタイアではなく、セミリタイアにした理由

ワタシが、会社員生活にホトホト疲れてアーリーリタイアを決心したのは、たしか2017年の夏頃の事だったでしょうか。

はじめは、すっぱり仕事を辞めて、アーリーリタイアしようと考えていたのです。

ですがその後、ふと何を思ったのか、「セミリタイアもいいかも」なんて考えるようになりました。

アーリーリタイアするか、セミリタイアするか。

ワタシの場合、夫がまだフルタイムで働いていますので、つまり、ワタシにとってこの選択は、専業主婦になるか、パート主婦になるかという選択とほぼ同義であります。

そしてワタシは、セミリタイアを選んだわけですが、その最大に理由は、「公的年金」にあるかもしれません。

先日の記事、世帯主という概念でもふれましたが、英国では、夫が無職の妻(専業主婦)を扶養していたとしても、個人所得税も年金も、なにも優遇してもらえないのです。


妻が無職の夫(専業主夫)を扶養していても同様です。

ちなみに、子供も同様です。扶養する子供が何人いようが、税金の優遇はありません。

子供手当というものがありますが、高収入になると、子供手当をもらった分、所得税が増えて相殺されるという悪魔ぶり。

もちろん、日本の国民年金第3号被保険者みたいな有難い制度はありませんので、英国で特に理由もなく無職でいると、将来「公的年金」がもらえなくなってしまいます。

そして、英国の「公的年金」には、日本の厚生年金みたいな「遺族年金」がありませんので、自分自身の年金がないと、かなり不安です。

まあ、「確定拠出年金」は相続できますので、めいっぱい「確定拠出年金」に拠出しておくという対策は可能ですが。

英国の「公的年金」は、National Insurance と呼ばれる、一種の税金を納めていた年数によって、受給資格と金額が決まります。

なのでワタシは、将来の「公的年金」を確保する為に、ギリギリ National Insurance Tax が課税される程度の収入で、細く長く勤めていこうと考えたのです。

なので、セミリタイアというわけですね。

ちなみに、課税年度2020年では、年収 9,516ポンド(約128万3千円)以上で National Insurance が課税されます。

本人負担の National Insuranceは、年収 9,516ポンドを超えた金額の12%になります。

もし、50ポンド(6700円)超えちゃった場合(つまり、年収 9,566 ポンドだった場合)、支払う National Insurance は 6ポンド(約800円)となります。 

そして、その年は、National Insuranceを支払った年」として、「公的年金」の受給資格と金額を算定する際の「1年」とカウントされます。

もっとたくさんお給料をもらってる人は、もっとたくさんの National Insurance を支払っているわけですが、年間あたり、どれだけ払っても、その年は、National Insuranceを支払った年」の「1年」としかカウントされません。

日本の厚生年金のように、支払い金額に応じて受給金額が増減する訳ではありません。

なのでワタシは、National Insurance を、税金の一種と理解しています。

というか、英国人は、National Insurance を、税金の一種と理解しています。

日本では、National Insurance は社会保険料とか、国民保険料と訳されるので、給与明細でNational Insurance が引かれてるのをみて、厚生年金か健康保険みたいなものだと誤解する日本人の方が多いのですが、違います。

National Insurance は、税金の一種です。

閑話休題。

というわけで、英国の税制や社会保障制度を学ぶうちに、ワタシとしては、ギリギリ National Insurance Tax が課税される程度の収入で、細く長く勤めるのが最善策だと結論を出したのです。

もし英国に、日本の国民年金第3号被保険者みたいな有難い制度があれば、すっぱりアーリーリタイアしていたかもしれません。

そう考えると、国民年金第3号被保険者という制度の存在は、日本女性の社会進出を大きく阻害しているのかもしれませんね。

経済的にも、心理的にも。

この制度こそ、女性を家庭に押し込める事によって、男性を馬車馬のように働かせて実現した、高度経済成長の遺物だと思うのです。

ワタシ個人としましては、終身雇用制度が危うくなってきている今の日本では、国民年金第3号被保険者も見直しが必要だと思うのですが、この話題はもはやタブーとなってしまっていますからねえ。


Thursday 11 June 2020

世帯主という概念

コロナ禍に係る10万円の特別定額給付金、世帯主が申請、受給という事で、物議を醸し出していますね。

政府としては、何よりもスピードが大切、ということで、支払い手続きをスピードアップするために世帯単位としたということです。

確かに、個人での申請となると、申請書の数も振込手続きの数も倍増(というか、きっと倍以上)しますので、スピーディに給付するためには、世帯単位というのは苦肉の策なのでしょう。

対象者が、「納税者」ではなく、「住民基本台帳に記録されている人」という事で、生まれたばかりの子供でも受給できるということです。

子供にも支給する事にしたのは良いけど、子供は銀行口座も持ってない可能性が高いし、そんな場合はどうせーっちゅうねん、って考えたら、もう面倒くさくなって、「こうなったら、世帯でくくってしまおう」となったのかもしれませんね。

英国では、コロナ禍に係る給付金は、基本、休業補償であり、それに該当しない人は、生活保護を申請という感じです。(生活保護の申請基準が緩和されたようですが。)

英国には、そもそも住民票というものがありませんので、日本みたいな、住民票に登録された「世帯」というものは存在しません。

同居配偶者が無職で扶養していたとしても、個人所得税も年金も、なにも優遇してもらえません。

英国は、健康保険はNHS(国民保健サービス)で無料なので関係ないし。

日本の国民年金第3号被保険者みたいな有難い制度はありませんので、英国で特に理由もなく無職でいると(専業主婦とか)、将来、公的年金がもらえなくなってしまいます。

英国で特に理由もなく無職でいるのは、「公的年金なんて不要」というお金持ちか、または、生活保護を受給している人か、どちらかです。

閑話休題。

とまあ、あくまで個人主義の英国ですが、コロナ禍で、世帯(Household)という単語がにわかに脚光を浴びています。

というのは、都市封鎖下の英国で、皆が口をそろえて繰り返す、「ソーシャルディスタンス」なるものは、異なる世帯(Household) の人に適用されるものだからです。

英国の「ソーシャルディスタンス」の基準は2メートルなのですが、同じ世帯(Household)の人とは、外を歩く時も、2メートル離れなくて良いんです。

まあ、当たり前って言っちゃあ、当たり前やな。

この、世帯(Household)という概念、どうやら欧米では、子供に説明するのが難しいみたいですね。

ニュージーランドかどこかが、バブル(泡)という単語を使って、子供に説明していましたね。

先日、公園を散歩していたら、若いお母さんが小さな子供に、

「私たちは、家族だから一つのバブルの中にいるのよ。そしてあの人たちは、別のバブルに入っているの。あなたは、私たちのバブル中にいなきゃダメなのよ。」

って、一生懸命説明してました。

公園なんかでは、小さな子供は糸の切れた凧みたいに走り回ってしまう危険性がありますからね。

それ以外に、世帯(Household)という概念に遭遇するのは、税関申告書でしょうか。

日本の税関申告書もそうですが、どうやら税関申告書っていうのは、一世帯(Household)につき一枚の提出という国が多いみたいです。

飛行機の中では各自に配ってくれるのに、家族一枚しか使わないから、いつも余ってしまってもったいないですよね。

たしか、キューバに行った時だったと思うのですが、やはり飛行機の中では、夫とワタシ各一枚ずつ税関申告書をもらったのです。

なので、それぞれで記入して、いざ税関で提出しようとすると、一世帯(Household)に一枚で良いとのこと。

その瞬間、ワタシと夫(ミャンマー人)の間に、緊張が走ったのです。

どちらが提出するか?=どちらが世帯を代表するか?

夫(ミャンマー人):つまりこれは、どちらが Chief of household かっていうことだよねえ。

ワタシ:えええ。じゃあ、ワタシのを提出しましょう。

なんて言いながら、結局どちらのを提出したか、もう忘れてしまったので、ワタシ達にとっては大した問題ではなかったのですが。

世帯主っていう概念、日本ではまだまだブイブイいわしているみたいですね。


Wednesday 10 June 2020

2メートルの不思議

コロナ禍で流行った言葉の一つに、「ソーシャルディスタンス」がありますね。

日本でも、カタカナで「ソーシャルディスタンス」って言っても通じるくらいに、すっかり浸透しているようです。

さて、その「ソーシャルディスタンス」の基準。

国によって、2メートルだったり1.5メートルだったりと、若干の違いがあるようです。

ちなみに、英国の「ソーシャルディスタンス」の基準は2メートル。

なのですが、いまだに身長をフィートで、距離をマイルで表現している英国人が、なぜここでいきなり2メートルなのか、とても不思議です。

典型的な英国人に、2メートルっていきなり言っても、どれくらいの距離かピンとこない人が殆どだと思うのに。

英国人:2メートル離れないといけないのね。

日本人:そうです。

英国人:ええーっと。ところで、2メートルってどれくらい?

日本人:えええ。

でも、スーパーマーケットでも公園でも、どこに行っても、
「2メートル(2m)離れましょう」って書いてあるんです。

なぜ、6フィートとか、7フィートとかにしなかったんだろう。

7フィート(約210㎝)が遠すぎるというならば、6フィート(訳180㎝)で良いじゃない。

国によって、若干の違いがあるんだから。

6フィートだったら、英国人もすぐにピンとくるだろうに。

ところで、英国は、昔から帝国単位という度量衡を使っていました。

ワタシが初めて英国を訪問したのは1988年なのですが、当時は、すべてモノが帝国単位で表現されていて、えらく戸惑ったと記憶しています。

ところが、1995年にできた法律によって、徐々にメートル法が導入されてきているようです。

そして今は、こんなに大事な、命に係わるくらい大事な、「ソーシャルディスタンス」の基準までメートルで表すようになったのですね。

旧イギリス植民地のビルマ生まれビルマ育ちである、夫(ミャンマー人)も、英国へ来た当初(20年前)は何から何まで帝国単位なヒトでしたが、今ではかなりメートル法に慣れてきたようです。

昔は、体温の平熱何度くらい?って聞いたら、97度(℉)くらいかな〜、体重はポンドだし、身長はフィートとインチなヒトでした。

今は、温度はすっかり℃に慣れたし(英国は、今ではすっかり天気予報も℃なのです)、重さも、かなりKgへの変換がスムーズになりました(体重計は、Kg設定にしてる)。

一番苦手なのが、長さかなあ。

いまだに、ワタシだったら、「あと5センチ!」ていうような場面で、「2 more inches!」って言ってるし、自分の身長もメートル法でどれくらいか覚えてないし、1km が何マイルくらいかも、あまりピンとこないみたい。

なので、ソーシャルディスタンスの2メートル、はじめはあまりピンと来てなかったみたいですが、あまりにもいろいろな所に、2メートル2メートルと、実物大サンプル付きの表示がベタベタ貼付されているので、最近は何となく2メートルの間隔がわかってきたみたいです。

おそらく、多くの英国人がそんな感じだと思うんです。

なぜ、はじめから6フィートにしなかったんだろう?

まあ、みんな徐々に分かってきてるみたいだから、良いのかなあ?




Saturday 6 June 2020

ハロー、雑念。

一般的に瞑想とは、何か一つのことに意識を集中させる訓練です。

雑念が沸いてきたら、追い払って、また集中。

そうしたら、また雑念が湧いてくるので、また追い払って、再度集中。

これを繰り返すことによって、精神を集中させる「筋力」のようなものを養うわけです。

精神の筋トレみたいなものですな。

例えばアナパナ瞑想法は、自分の呼吸によって、鼻の穴を出入りする空気の動きに意識を集中するという瞑想テックニックです。

鼻がつまっている時は、どうしたらいいんだろう。



しばらく練習してみた結果、まあ、両方の鼻の穴が完全に詰まってしまわないかぎり、片方の穴が通っていれば、なんとかなるという事が判明しました。

ワタシの場合、両方の鼻の穴が詰まると、ちょっとパニック状態になってしまうので、鼻の穴を洗浄したりして、なんとか片方は通るようにしてるんです。

でも、ひどい風邪を惹いた時とか、花粉症が最盛期とか、鼻炎の人とかはどうするのかは、まだナゾのままです。

閑話休題。

瞑想とは、何か一つのことに意識を集中し、雑念が湧いてきたら、それを追い払って、また集中。また雑念が湧いてきたら、また追い払って、再度集中。を、繰り返す、筋トレみたいなものなだと、ワタシは理解しておりました。

なのですが、先日、ワタシの瞑想の師匠である夫(ミャンマー人)が、今までのワタシの瞑想の常識をくつがえすような、代替瞑想テクニックの存在を教えてくれたのです。

なんと呼べばよいのでしょう。言うならば、雑念瞑想とでも呼びましょうか。

「雑念を追いはらう」のではなく、「雑念を受け容れ、客観的に観察する」瞑想です。

例えて言うならば、自宅を訪ねてきたお客さん(雑念)を、「今は忙しいから、また次にして下さい」と追い返すのが、いわゆる普通の瞑想。

「よく来たね」と、お客さん(雑念)を招き入れ、お茶を出して出迎えて、お客さんの話をゆっくり聞くのが、代替瞑想テクニック=雑念瞑想。

おおお!なんと画期的!

でも、ワタシみたいな素人が下手にやったら、それは「瞑想」ではなく、ただの「考え事」になってしまうのではないかと思って、踏み出せずにいるのです。


Friday 5 June 2020

スナック菓子のワナ。

先日、減ることを知らないワタシの体重についての記事を書きましたが、あれ以来、ワタシの体重は、自己最高記録を更新中です。


体重増加の原因は、自宅勤務で運動不足になっているというのもありますが、食生活の変化によるものも大きいかもしれません。

かつてのワタシは、大酒のみだったのですが、約二年半前にセミリタイアしてから一念発起、節酒活動に励んできました。


努力の結果、去年はなんと、年間休肝日260日を達成するくらいまで、酒量を減らしたのです。

年間休肝日260日という事は、平均して週5日の休肝日。

飲酒日が週2日という感じです。

年間休肝日がほぼゼロだった、セミリタイア以前のワタシに比べたら、雲泥の差ですよ。

なんか、「節度ある飲酒」って感じのレベルですよね。。

浴びるようにお酒を飲んでいた日々に終止符を打ち、そんな「節度ある飲酒」生活を始めたワタシ。

普通なら、お酒を減らしたら体重が減る人が多いようですが、ワタシの体重は、節酒によって減ることはありませんでした。

というかワタシ、浴びるようにお酒を飲んでたわりには、そんなに太ってなかったんです。

お酒を飲むと太るって言いますが、それはお酒と一緒におつまみを食べるからであって、ワタシのように、おつまみなしでひたすら飲むようなスタイルの呑み助は、それほど飲酒では太らないみたいなんですね。

肝臓へのダメージはマックスな感じがしますが。

そしてどうやら、ワタシはアルコールを減らすと、糖分を欲する身体の持ち主であったようで。

ビスケットやケーキ、チョコレートの摂取量が増えていったのです。

そんな中でのコロナウィルス騒動。

夫婦共々、在宅勤務で巣ごもり生活をはじめると、夫がワタシの、甘いもの消費量に危機感を抱き始めました。

夫:そんなに甘いものを食べたら、糖尿病になる!
  糖尿病は怖いんだよ!
  一度糖尿病になってしまったら、今後一生、
  好きなものを食べられなくなってしまうんだよ!

いやいや、まさに正論です。

おまけに糖尿病患者は、コロナウィルスに感染した場合に重症化する危険性が高いらしい。

甘いものを摂取を減らさないとなあ。

と、思っていたところ、ふと、スーパーマーケットで、あるスナック菓子を手にとってしまい、今度はそれにハマってしまったのです。

当分の摂取を減らすために、スナック菓子に手をだすワタシの浅はかさ!

そして、なんとなく、そのスナック菓子にハマって以来、体重が増加する一方なような気がするのですよ。

まあ、体重増加の原因として、そのスナック菓子だけを責めるのはフェアではないと思いますが(一番大きな原因は運動不足)、やっぱり、相関関係の存在は否めないのです。

と、いうワケで、これからしばらくの間、件のスナック菓子の摂取を減らして(やめない所がワタシらしい)、代わりにニンジンスティックをかじろうと考えています。

なぜ、ニンジンかと申しますと、ただ単に、英国ではニンジンが安いからです。

我が家から一番近いスーパーマーケットは、コンビニのような営業形態の小型店舗なのですが、一般的に小型店舗では安い商品をあまり置いていないのですが、そんなお店でも、ニンジンは500グラムで40ペンス(約56円)。

少し足をのばして大型店舗に行けば、1キロ が49ペンス(68円)で売ってます。

クリスマス時期には、セールになってさらにお得!

1キロ29ペンス(約41円)とか、19ペンス(約27円)とかになってました。


英国のニンジンは、甘くて、ニンジン臭さがなくて食べやすい。

生のまま、ざくざくとスティック状に切れば、おやつ代わりになります。

これからしばらくの間、口が寂しくなったら、ニンジンスティックをバリバリと食べようと思います。

はたしてそれで、体重が減るのかどうかはナゾですが。


Thursday 4 June 2020

ミャンマー人にとっての瞑想は、日本人にとっての自転車に近い(ような気がする)

昨年、ワタシが初めて瞑想合宿に参加した時、周囲の反応が、日本人とミャンマー人で全然違うのに驚きました。


ワタシの家族や友人、会社の同僚にとっては、10日間の瞑想なんて未知の世界なので、みんな興味津々。

それに対して、夫(ミャンマー人)の友人達(ミャンマー人)は、「ちょっと人間ドックに入ってくる」と言った人に対するような反応です。

今年は、ワタシの周囲の人達も、二回目なのでそれほど驚きませんでした。
それででも、ワタシが一回目の苦しさに懲りずに、二回目に挑戦するという事に驚くというか、感心する人もいましたが。

日本人にとっては、「瞑想」というのはそれほど身近なものなのではないようです。

禅寺とかありますがね。

ワタシが子供の頃、ちょうど小学校に登校するために家を出るくらいの時間に、近くの禅寺の僧侶が托鉢で近所を歩いていたのですが、ワタシはそれが怖くて怖くて。

だって、黒い袈裟を着て藁の傘をかぶったお坊さん達が、何人も何人も、低い声で「オゥーーーーーーム」って唸りながら、縦一列に並んで練り歩いてるんですから。

近所のおばさんなんかは、その声を聞くと家から出てきて、お坊さんに寄付をしていましたが、子供心には、そんな僧侶達は恐怖の対象でしかなく。

「オーーーーー」のおじさんと呼んで、怖がっていました。

ワタシにとって、禅寺との初めての出会いは、そんな感じ。

当時は、彼らが、禅寺という種類のお寺で修行している僧侶で、朝に行列して練り歩くのは「托鉢」という修行の一貫であるという事を知りませんでした。

ましてや、彼らの修行の中に「瞑想」が含まれるという事も。

そういう事を学んだのは、その後、ずっと大きくなって、日本有数の禅寺の一つ、永平寺に見学に行った時です。

日本人にとって「瞑想」とは、禅寺で修行する僧侶が行う「特別」なものであり、一般人が日常に行うものではない、という印象があると思うのです。

でも、ミャンマー人にとって「瞑想」とは、とても身近なものなんですよねえ。

適当にミャンマー人をつかまえて、「瞑想のやり方しってる?」って聞いてみたら、殆どの人が、「知ってる」と答えるんではないでしょうか。

うちの夫(ミャンマー人)の様に、普段、日常的に瞑想している人となると、少し割合が減るかもしれませんが。

それはですねえ、なんとなく、日本人にとっての自転車のような感じなんですよ。

適当に日本人をつかまえて、「自転車乗れる?」って聞いてみたら、殆どの人が「乗れる」と答えるでしょう。

日常的に自転車に乗ってるかどうかは別として。

自転車に乗るのって、身体で覚えるスキルで、一回覚えたら忘れないから、日本では、子供が小さい間に教え込みますよね。

ミャンマーでは、それが「瞑想」なのです。

瞑想も、ある意味、身体で覚えるスキルで、一回覚えたら鈍ることはあっても忘れないから、ミャンマーでは、子供が小さい間に教えるんだと思うのです。

なので、ミャンマー人にとって「10日間の瞑想合宿に行く」というのは、日本人にとって「10日間のサイクリングツアーに行く」という感じなのかもしれません。

日本人にとっての、こんな会話が、

A: 今度の休みは、10日間のサイクリングツアーに行くんだ~。

B: いいなあ。ストレス解消もできるし、身体も引き締まるかも。
  ところでワタシ、最近運動不足で太ってるのよねえ。

ミャンマー人にとってはこんな風になるのでしょう。

A: 今度の休みは、10日間の瞑想合宿に行くんだ~。

B: いいなあ。頭がスッキリするだろうなあ。
  オレ、最近血圧高いから、10日間くらい瞑想したら良くなるかなあ。

そう考えてみたら、最初の反応の違いも納得です。

ちなみに、これはあくまでもワタシの私見ですが、ヤンゴン育ちのミャンマー人は、あんまり自転車に乗るのが上手くないような気がする。

サンプルは夫(ミャンマー人)一人なので、全く信憑性にかけるのですが。

だってヤンゴンって、二輪車(バイクや自転車)禁止なので、「サイカー」と呼ばれる自転車タクシーみたいなの以外は、街中で自転車乗ってる人、殆ど見かけなかったんですよ。

もしかしたら、今は自転車はOKなのかもしれませんが。

前回のミャンマー訪問時(202019年1月)には、Uber Eats みたいな、自転車のフードデリバリーをヤンゴンで見かけました。

フードパンダっていうのかな?パンダのマークのバッグを持ってました。

ミャンマーも、どんどん新しいビジネスが始まってるなあ。



Wednesday 3 June 2020

ハックション、くそ~!

くしゃみをした時にいう言葉には、お国柄が表れますね。


日本の場合は、

「ハックション、失礼。」とか、

「ハックション、くそ~!」とか。

英国では、

「アチュー、エクスキューズ・ミー」というのが一般的でしょうか。

そうしたら、周りにいる人が、

「ブレッシュー」と言います。

これは、英語で書くと、Bless you. 

God bless you. (貴方に神の祝福がありますように!)が短くなったもののようです。

ここで神様が出てくるっていうのが、キリスト教国らしい感じがしますねえ。

さて、ミャンマーではどうでしょうか。

夫(ミャンマー人)は、くしゃみをする時、

「ハックション、ペアー!」といいます。

本来、ミャンマー人は、くしゃみをする時に「ハックション」とは言わないかもしれませんが、夫は16年も日本人のワタシと一緒にくらいしているので、どうやら「ハックション」がうつってしまったようです。

そして、「ペアー」というのは、仏様を意味するみたいです。

なんか、仏教国らしさを感じますね。

でも英国と違って、くしゃみをした本人が言うので、傍できいてるワタシにとっては、
日本人の「ハックション、くそ~!」に限りなく近く感じられます。

でも、全然違うのです。

仏様なのです!

くそと一緒にしてはいけません。反省。

でも、良く考えてみたら、「ハックション、失礼。」にしても、「ハックション、くそ~!」にしても、日本人がくしゃみした時に言う言葉には、宗教性がありませんねえ。

それだけ、日本人は全般的に、宗教についてはゆるいという事なのでしょうか。、

まあ、宗教についてゆるいの良いですが、他の国の人達が、神様とか仏様を持ち出してくるような場面で、「くそ~!」というのは良くないと思うのですが。

なんで、「くそ~!」っていう人がいるんでしょうね。

くしゃみをしたら、鼻水とかタンが飛び出してくるが嫌だから?

それとも、くしゃみは自分でコントロールできないので、それが忌々しいから?

自分の行いであるにもかかわらず、自分でコントロールできない「くしゃみ」。

だからこそ世界の人々は、「くしゃみ」を神様や仏様と関連付けるのかもしれません。

そして、神様や仏様を信じない日本人は、「くしゃみ」を「くそ」と関連付けるのです。


Tuesday 2 June 2020

アマ○ンプライムのワナ

アマ○ンプライム。

主な特典は、アマ○ンで購入した品物の送料無料&翌日配達サービスを受けることができます。
それに加えて、電子書籍が読み放題、音楽も聴き放題、そして、アマ○ンプライムビデオへのアクセスも可能になります。

送料無料&翌日配達サービスなんて、別になくても良いと思っていたので、今まで入会しなかったのですが、新型コロナウィルスのせいで、家にこもっている毎日。

こんな生活もいつまで続くかわからないし、どうやら長丁場になりそうなので、エンターテインメントは多いにこした事はない、と入会してみたのですが、いやはや、これはしてやられました。

いざ入会してみると、送料無料&翌日配達って、すっごく中毒性があるのですね。

他のサービスは、消費者に体験入会を促すためのエサ。

アマ○ンプライムのサービスの主軸は、送料無料&翌日配達です。(キッパリ!)

入会前は、アマゾンで欲しいものを見つけても、それが少額商品の場合はけっこうな送料がかかるから、チェックアウト前で一歩立ち止まっていました。

でも、送料無料にするために、そんなに欲しいわけではないモノまで買ってしまうのはムダ使い。

緊急に必要なものでないならば、とりあえず今はカートに入れておいて、他に欲しいものが出てくるまで待とう。

となっていたのです。

それがですねえ。

アマ○ンプライムに入会して、送料無料&翌日配達という2大サービスを手に入れて以来、欲しい物を見つけたら、送料の事を心配せずに、そのままスルスルとチェックアウトに進み、最終確認ボタンをポチっとするようになったのですよ。

これはすごい。

電子書籍や音楽や、動画の視聴を目当てで入会した人だって、きっと、欲しいものを見つけたら、悩むことなくポチっとしてると思うのです。

だって、送料の壁がないんですから。

でも、宅配業者の方々は、大変だろうと思います。

新型コロナウィルスの影響で、ただでさえお仕事が増えているところに、我が家のように、送料を支払っていないアマ○ンプライム消費が、ちょこちょこ買いをするなんて。

良くないなあ。と思いつつ、ついつい、ポチっとしてしまう。

アマ○ンプライムのワナに、まんまとハマってしまった我が家です。



Monday 1 June 2020

減ることを知らないワタシの体重。

コロナウィルスに係る都市封鎖が始まる前、ワタシが最後に会社に行ったのは3月3日の事。

自宅勤務をはじめて約3ヶ月が経ちました。

その間、ワタシの体重は減ることを知りません。

たとえ週2日の出勤とは言え、会社に行くっていうのは運動になっていたんだなあ、と実感。

自宅から駅まで徒歩5分。

電車に15分程のって、乗り換えてさらに15分。

個人的な好みのため、会社事務所の最寄駅ではなく、事務所から徒歩20分くらいの駅で降車。

そこから会社まで徒歩20分。

会社の中でも、お茶を作りにキッチンに行ったり、トイレにいったり、他の部署の同僚の席に顔をだしたり、何かと歩いているようです。

お昼はランチを調達に、会社の事務所を出て街をふらふら。

仕事が終われば、再度、会社から駅まで徒歩20分。

電車に15分乗って乗り換えてさらに15分。

駅から自宅まで徒歩5分。

これで大体、6000歩くらい歩いていたんですね。

引きこもり生活の今は、毎朝、自宅近所の公園でウォーキングをしています。

自宅から公園が徒歩5分くらい。

公園内を、どういう風に歩くかによって、ロングコースとかショートコースとか選べます。

ショートコースは約30分。ロングコースで、約40分くらいでしょうか。

自宅から公園までの往復を含めると、ショートウォークで約40分、4500歩くらい。
ロングウォークだと約50分、5500歩くらいです。

ロングウォークした日でも、通勤よりも歩数が少ないのね。

自宅に引きこもるという事は、かなり意識的に運動しないと、運動不足になるんやなあ。

というわけで、ワタシの体重は減ることを知らないのです。