雑念が沸いてきたら、追い払って、また集中。
そうしたら、また雑念が湧いてくるので、また追い払って、再度集中。
これを繰り返すことによって、精神を集中させる「筋力」のようなものを養うわけです。
精神の筋トレみたいなものですな。
例えばアナパナ瞑想法は、自分の呼吸によって、鼻の穴を出入りする空気の動きに意識を集中するという瞑想テックニックです。
鼻がつまっている時は、どうしたらいいんだろう。
しばらく練習してみた結果、まあ、両方の鼻の穴が完全に詰まってしまわないかぎり、片方の穴が通っていれば、なんとかなるという事が判明しました。
ワタシの場合、両方の鼻の穴が詰まると、ちょっとパニック状態になってしまうので、鼻の穴を洗浄したりして、なんとか片方は通るようにしてるんです。
でも、ひどい風邪を惹いた時とか、花粉症が最盛期とか、鼻炎の人とかはどうするのかは、まだナゾのままです。
閑話休題。
瞑想とは、何か一つのことに意識を集中し、雑念が湧いてきたら、それを追い払って、また集中。また雑念が湧いてきたら、また追い払って、再度集中。を、繰り返す、筋トレみたいなものなだと、ワタシは理解しておりました。
なのですが、先日、ワタシの瞑想の師匠である夫(ミャンマー人)が、今までのワタシの瞑想の常識をくつがえすような、代替瞑想テクニックの存在を教えてくれたのです。
なんと呼べばよいのでしょう。言うならば、雑念瞑想とでも呼びましょうか。
「雑念を追いはらう」のではなく、「雑念を受け容れ、客観的に観察する」瞑想です。
例えて言うならば、自宅を訪ねてきたお客さん(雑念)を、「今は忙しいから、また次にして下さい」と追い返すのが、いわゆる普通の瞑想。
「よく来たね」と、お客さん(雑念)を招き入れ、お茶を出して出迎えて、お客さんの話をゆっくり聞くのが、代替瞑想テクニック=雑念瞑想。
おおお!なんと画期的!
でも、ワタシみたいな素人が下手にやったら、それは「瞑想」ではなく、ただの「考え事」になってしまうのではないかと思って、踏み出せずにいるのです。
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