Wednesday 8 December 2021

少子化対策についてつらつらと考えてみた

うちの夫(ミャンマー人)は、非常にテレビっ子です。

ワタシの持論では、物心ついた時からテレビがある環境で育った人はそんなにテレビに執着しないけど、物心ついた時にテレビがなかった人は、テレビっ子になる確率が高いと思う。

うちのミャンマー人は、ワタシよりも若いんですが、子供の頃のテレビへのアクセスが潤沢だなかった為か、いまだに非常なテレビっ子です。

テレビ:https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2013/03/blog-post_20.html

コロナ禍の間、できるだけ買い物の為の外出を減らす為に、某ア〇ゾン通販サイトもプライムメンバーになっている方も多くいると思いますが、例にもれず、我が家もメンバーになりました。

メンバーなると、某ア〇ゾンがやってる動画配信サービスへも無料でアクセスできるのですね。

動画配信サービスと言えば、今や、飛ぶ鳥を落とす勢いでブイブイ言わせているネッ〇フリックスも、今みたいに流行る前から加入しておりました。

なのでまあ、うちのテレビっ子は、普通のテレビ番組に見たいものがない時間帯は、二つの動画配信サービスを駆使して、世界各国の色々な番組を、せっせと鑑賞しておるのです。

ゴミみたいな番組もありますが、なかなか見ごたえのある番組も多々あります。

その中で、世界の貧困地域のドキュメンタリーなんかとつらつらと見ていて、ふとタイトルの事について考えたのです。(前置き長い)

世界の貧困地域の人々の生活は、本当に大変。

辺境の地で砂金を集める女性なんて、4日間かけて集めた砂金の買い取り価格が、たったの2ユーロです。

自分が食べていくのも大変な状態なのに、子供がいたらもっと大変やろうなあ、なんて思って見てたら、砂金を集める女性の所に、今日は学校が休みだといって、子供たちがお手伝いに来るのです。子供たちは、学校が休みの時は、母親の砂金集めのお仕事の手伝いをしているそう。家族総出で、砂金集めです。

ドキュメンタリー見てても、貧困地域って、大抵子沢山なのね。

今、日本をはじめ先進国では少子化が問題となっているのにも関わらず、地球全体をみたら、世界の人口が増えているのは、発展途上国の人口が増えているからです。

今の日本が少子化なのは、若者世代が貧乏で結婚しない(できない)、子供を育てるのにお金がかかるから子供を持てない。要するに、若者にお金がないから少子化になっていると言われていますが、その一方で、発展途上国では、絶対的貧困で、一日2ドル以下とかで生活していて、明日の食べるものもないようなカップルも、子供を産んでいるからです。

何が違うのか。

ドキュメンタリーを見ていると気付くのは、発展途上国では、子供はかなり雑に扱われているという事です。(これを見て、かわいそうだ、募金しろという慈善団体があるわけですが。)

つまり、生まれても雑に扱うから、貧乏でも子供を産むわけですな。

もちろん、子供の事は大切に思ってるし、愛情をかけて育てているのですが、お金がない人は、無い袖は振れない。愛情はかけてもお金はかけられない。

「ごめん、将来の事を考えたら、学校に行かせてやりたいのはやまやまなんだけど、でも、毎日のご飯を食べられないと飢え死にしちゃって将来もクソもないから、あなたも働いて、少しでも稼いでね!」という感じの雑さです。

先進国では、子供を産むなら、生まれた子供を大切に育てたいから、お金がないから産まないという選択になるわけです。

そこで、この意識の違いは、何がターニングポイントとなるんだろうかと、考えてみました。

ちなみにワタシは、氷河期世代の初めの方。第二次ベビーブーム真っ盛りの年の生まれです。

ワタシの学年は、とりあえず子供が多かった。

小学校は1学年100人弱。(3クラス)

中学校は1学年300人強(8クラス)

高校に至っては、1学年600人弱(12クラス)くらいいたはず。

同じ高校で同じ学年の同窓生でも、知らない人の方が多いくらいです。

そんなに沢山いたワタシたちですが、だからと言って学校を新しく建てるわけにはいかないので、高校受験も大学受験も、競争率が高かった。

オマケに、大学を卒業する年になってバブルが崩壊し、ただでさえ高かった競争率が、さらに倍!

なのに、政府は何もしてくれなかったので、いまだに何もしてもらえてないので、われわれ氷河期世代は、一生冷や飯を食っているわけです。

我ながら、かわいそうな世代だと思うのですが、ふと思ったのです。

多分ワタシたちは、沢山いるから雑に扱われているのでは?

おそらく、もし今、コロナ禍が治まって経済が上向いてきたとして、政府が重い腰を上げて、経済的に困窮した若者の支援をするとなれば、コロナショックで就職機会を失った、20代30代を優先するでしょう。

それは、もちろん、これから子供を産み育てる可能性が高い若者を支援する事による、少子化対策というのもあるかもしれませんが、ただ単に、数が少ないから大切にしようというのもあるのではないかと、訝ってしまうのです。

氷河期世代は、もうちょっと手遅れであるというのと同時に、数が多いから、雑に扱われているような気がしてならない。

人間には、少ないものを大切に、数が多いものは雑に扱うという傾向があると思うのですよ。

これを子供を持つ事に対する意識について当てはめてみた場合、

沢山産んで雑に扱う ⇔ 少なく産んで大切に育てる 

となるわけです。

沢山いると、雑に扱うから、親の負担は少なく、さらに産む。

少ないと、大切に育てるから親の負担は大きく、さらに産み控える。

どちらかの流れに乗ってしまうと、増え続ける、もしくは減り続けてしまうので、どこかで、この二つの流れを切り替える必要があります。

日本の場合、戦後しばらくは増え続ける方の流れに乗っていましたが、ある時、減る流れに切り替わりました。

ターニングポイントは、国が豊かになった事だと思います。

そして日本では、豊かになったはずなのに、バブルが崩壊して氷河期世代を作り出してしまった事と、それが第二次ベビーブーマーと重なった事が、それを加速させてしまったのです。

数が多すぎた第二次ベビーブーマー世代は、事あるごとに雑に扱われて、自分の子供は少なく産んで大切に育てる方向に進もうとした。

でも、バブルがはじけて、「少なく産んで大切に育てる」もハードルが高くなった。

だからと言って、「沢山産んで雑に扱う」はやりたくない。

まあ、少子化の流れは、他の先進国でも起こってますので、バブル崩壊と氷河期世代は、少子化を加速させただけで、根本の原因ではないのではないかと思います。

一番の原因は、国が豊かになった事に加え、豊かな環境で大切に育てられた世代が親世代になったからだと思うのです。

そう思ったら、少子化対策には、国が貧乏になって、子供がハングリーに育たなければいけないわけです。

まあ、今の日本経済は失速していますし、このまま失速が続けば日本も貧しくなって、明日の食い物にも困るという状況で育った子供達が親世代になれば、労働力の為に沢山産んで雑に扱うという意識になり、日本の少子化も解消するかもしれません。

それは、嫌やなあ。もう、少子化のままで良いんじゃないでしょうか(無責任)?



Thursday 28 October 2021

ワタシはなかなか燃費が良い。

アラフィフでパート主婦のワタクシ、今後はもうフルタイムで働くつもりはないのですが、何をトチ狂ったのか、ACCA(英国勅許公認会計士資格)などという、難関資格に向けて勉強中です。

この資格を取る為には、合計13個の試験に受かる必要があるのですが、他の経理関係の資格や学位を持っている場合は、いくつか免除してもらえます。

ワタシの場合、最初の3つを免除してもらえたので、4つ目からのスタートでした。

若い人は、フルタイムで勉強して、13個の試験をチャッチャと3~4年で終わらせたりするのですが、ワタシは勉強を始めた当時はフルタイムで働いていましたので、ゆっくりと、ひとつづつ受験していきました。

セミリタイアしてパートタイムになって、他のもうフルタイムで働くつもりがないワタシにとって、この資格は無用の長物なのですが、何となく乗りかかった船という事で、勉強を継続してはいます。

でも、この歳になって、若い人のようにフルタイムで勉強するつもりはありません。

一つ受けては休み、もう一つ受けては休み、という感じで、10年計画くらいで取り組んで、そしてついに、9つ目の試験に合格し、Part Qualified Finalist となったわけですが、ここから先が長いのです。

試験としてはあと4つなのですが、それが、やたらめったら難しい。

そして先日、その、残り4つの試験の内の一つ目を受験してきました。

1回落ちたので、二度目の受験です。

試験にまったく受かる気がしません 

合格率40%の試験は、不合格二回までOKという事にします

ワタシにとっては、やたらめったら難しい試験でしたので、2度目とは言え全然受かる気がしなかったのですが、とりあえず、ここで逃げたら女がすたると、ダメもとで受験しに行きました。

そして先日、その試験の合格発表があったのですが、なんと、受かっておりました!

それも、100点満点で合格点が50点なのですが、ちょっきりピッタシの50点で合格です。

なんて燃費の良い試験の受かり方なんだろう。

我ながら、感心です。

とりあえず、最後の難しい試験の4つの内の一つに受かってしまったので、もうしばらく勉強を続けます。

ACCAのルールでは、最後の難しいレベルの試験は、最初の一つに受かってから7年以内に、他の3つに受からなければいけません。

というわけで、あと、7年は頑張る事になりそうです。

7年後、晴れて英国勅許公認会計士になっているか、それても時間切れであきらめるか。

って、7年後のワタシは、四捨五入したらもう還暦。

新人の公認会計士になってる場合ではないなあ。

Sunday 19 September 2021

今流行りのFIRE、大切なのはREではなく、FIだと思う

今流行りの、アメリカからやってきた新造語、FIRE(Financial Independence, Retire Early) 

日本では、RE (Retire Early)の部分がクローズアップされて、若いうちから節約第一の生活なんて虚しいとか、働かない人生なんてヒマだとか、勤労は国民の義務だとか、色々と批判する人がいるようです。

でもワタクシ、個人的には、このムーブメントの肝はRE (Retire Early)ではなく、FI(Financial Independence) の方にあると思うのですね。

RE (Retire Early)は、後からついてきたというか、晴れて、FI(Financial Independence) を達成した暁に、ふと立ち止まって考えてみたら、「あれ、自分の今の状態って、もしかしてリタイアしても大丈夫なんじゃ?」となって、結果的にRE (Retire Early)しちゃったという感じ。

うちの夫(ミャンマー人)も、FIREなる言葉が流行り始めるかなり前から、Finqncial Independence という概念をどこからか仕入れてきて、

「卵を一つのカゴに盛ってはいけない」

「お金のなる木の種を、複数まくことが大切。その中の一つでも育てばラッキー。」

なんて言いながら、投資を始めたりなんなり、色々と活動しておりました。

というのも、夫のサラリーマン人生は、受難続きなのです。

受難のサラリーマン人生 https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2020/07/blog-post_10.html

夫は、英国では今までに4回転職しているのですが(今働いている会社が5社目)、その内、自己都合退職は一回だけで、3回はリストラ・倒産によるものなのです。

一体全体、彼は何かを持ってるのか、それとも何かを持っていないのか。

職がある間も、気分的に「安泰」という言葉からは程遠く、常に失職の危機感をもって働いてきたのです。

特に、前職のアメリカの会社は心臓に悪かった。

最終的には、親会社が英国からの撤退を決定し、英国現地法人を倒産させた為に解雇となったのですが、その前にも、リストラをやってたんですね。

その時の「クビきり具合」がまあ、アメリカのドラマで見るような感じの、情け容赦ないものであったらしく、一時期夫は、戦々恐々としていました。

「今日は大丈夫だったけど、明日、会社に行ったらクビを申し渡されるかもしれない」

会社が「リストラ終了のアナウンス」をするまでは、残った社員も精神的につらい日々を過ごしていたのです。

まあ、その時は生き残ったのですが、その後、倒産して社員全員が段階的に解雇となったのですが。(倒産による解雇は、いきなり「明日から来なくてよい」と言われるわけではないので、転職活動とか、色々準備ができるので、まだ、ダメージが少ないです。)

そんな状況で働いていると、FI(Financial Independence) がとても重要になってきます。

別に早期リタイアしたいわけではなくとも、自分の心と生活を守る為には、ある程度の FI(Financial Independence)が必要だったのです。

多分、アメリカでこのムーブメントが起こったのも、似たような感じなのではないかなあ。

記憶に新しい所ではリーマンショックなんかで、今まで高収入でバリバリエリートだった人達が、突然FIRE(解雇)されたので、FI(Financial Independence) への関心が高まり、いざ FI(Financial Independence)してみると、「あれ、早期リタイアできるんじゃない?」となり、わざと、FIRE(解雇)ともじってFIRE(Financial Independence, Retire Early) という造語になったのでしょう。

まあ、雇用が安定していない社会の産物ですな。

Tuesday 14 September 2021

合格率40%の試験は、不合格二回までOKという事にします

アラフィフでパート主婦のワタクシ、フルタイムの仕事に疲れてセミリタイアしたという過去を持つにも関わらず、ACCA(英国勅許公認会計士資格)などという、難関資格に向けて勉強中です。

っていうか、ACCAみたいな資格は、将来良い仕事を得るために取るものであるのであって、すでに「もうこの人生では仕事は打ち止め」なんて気分のワタシが取っても意味がないんですがねえ。

でも、フルタイムで働いてる時からこの資格を目指して勉強していたので、フルタイムをやめてからも、何となく惰性で続けているのです。

そんなACCAの試験も、残るところ最後の4つ。

スーパーマリオで言えば8面。かなり難しい。

その中の一つ、Advanced Financial Management (AFM)という試験を、先日受けてきました。

手ごたえは、まあ、あかんなあ。

ちなみに、今回が二回目の挑戦です。

この試験は、100点満点のテストで、合格点が50点。

前回は、30点くらいで不合格。

今回は、40点以上での不合格を目指しております。

もしかしたら、43点くらいとれてるかも。

さらにもしかして、48点くらいで不合格やったら悔しいやろうなあ。

なんて色々と妄想しつつ、やっぱり50点は取れてそうにありません。

でもこの試験、過去の5回の試験の合格率が33%から42%。

半分未満の合格率なのです。


だから、二回落ちても、まあ、順当という感じでしょうか。

3回目も落ちたら、真剣に方向性について考えないといけないと思いますが。

合否が判明するのは6週間後ですが、まあ、今回は6週間待つことなく、次回の受験に向けての勉強計画を練ろうかと考えています。

そうそう、先日、日本の司法試験の合格率が、今年は40%もあったというニュースをみました。

そうか。この試験は、日本の司法試験並みの合格率の試験なのかあ。

でも、ACCAの場合、それが一つではありません。

資格取得の為には、このレベルの試験を合計4つ突破しないといけないのです。

最後の4つの試験は、かなりクセモノなので、かなり苦労しそうです。

まあ、それだけACCAが難関資格だという事ですね。

もし、そんな難関資格がうっかり取れてしまったら、もしかしたら、再度フルタイムで働きたくなってしまうかもしれませんね。


Wednesday 25 August 2021

試験にまったく受かる気がしません

ACCA。それは、英国勅許公認会計士資格。

この資格を取る為には、

  • 合計13個の試験に合格
  • Ethics and professional skills module (EPSM) というオンラインワークショップのようなものを修了
  • 3年間の経理関連する職務経験と、職務経験に関するレポートの提出

が必要となります。

13個の試験のうち、9個合格すると、Part Qualified Finalist として、履歴書にも書けます。

Part Qualified Finalist は、一般的な経理業務を行うには十分な知識があると、世間でも認知してもらえるのです。

そして世の中には、Part Qualified Finalist を安めのお給料で採用して、最終4つの試験をサポートし、そのままACCA会計士をゲットしようという会社があるわけですね。

もちろん、試験を一つも合格していない若者を経理の見習いとして採用し、資格取得をサポートしてACCA会計士をゲットしようという会社もあります。

つまり、9つの試験合格は、ACCA資格取得への道のりに於いて、大きなマイルストーンなのです。

そして大きなマイルストーンなだけに、残り4つの試験は、それまでの9つに比べて、難度が跳ね上がります。

ワタシがいま苦しんでいるのは、まさにその、残り4つの試験の一つ目なのです。

スーパーマリオブラザーズで言えば、ワールド8の1面目という感じでしょうか。

今まで、くじけながらもダラダラと勉強してきましたが、試験まであと2週間少々という所になって、いまだに、まったく受かる気がしません。

その中でも一番難しいと言われる科目(ラスボス)は、最後に受けようと考えているのですが、ラスボスまでたどりつける自信がありません。

とりあえず、9月の試験は不合格だと思われますので、試験が終わったら、それ以降の身の振り方を考えようと思います。

今の所、

  • 9月の試験不合格
  • 12月または来年3月に再受験
  • それにも不合格なら、ACCAをあきらめる
こんな感じです。

試験の後の事考えるヒマがあったら、勉強しろって感じですね。

Thursday 19 August 2021

仕事するような感じで勉強する。

前回の記事では、勉強したくない病が発病していたワタシ。

  • 勉強しないでとりあえず受ける。
  • 9月の試験を12月に延期する。
  • ACCAをあきらめる。

の3つで悩んでいたのですが、結局、

  • 勉強しないでとりあえず受ける。
を選択しました。
  • ACCAをあきらめる。

はいつでもできるので、今はナシとして、

  • 9月の試験を12月に延期する。

これにすごく傾いていたのですが、いざ、延期しようとACCAのサイトにログインまでして、土壇場でやっぱり受ける事にしたのです。

12月に延期しても、おそらく11月頃に同じような状態になるはずなので、ここら辺で一度模試代わりに受験して、なんとか状況を変えようという方針です。

夫は、「まあ、せっかく受けるんやったら、仕事するような感じで、勉強してみたら?」とアドバイスしてくれました。

そのアドバイス通りにやろうかと思います。

「仕事するような感じ。」つまり、

「やってるフリして、時間中とにかく机の前でダラダラやり過ごす。」

という感じで勉強しようかと考えております。

きっと夫は、ワタシの仕事への姿勢を理解していません

Friday 30 July 2021

勉強したくない病が発病中

ACCA。それは、英国勅許公認会計士資格。

ワタクシ、アラフィフにもなって、この資格試験を目指して勉強中です。

というか、勉強を始めた時は、まだアラフォーだったような。

というか、いつ勉強を始めたのかさえ、もう忘れてしまいました。

でもまあ、10年計画でやってます。

というのも、以前は最初の試験合格を起点に、最後の試験までのタイムリミットが10年だったのです。

ですが、どうやら制度が変更されたらしく、今の制度では、最初の9つの試験に合格するまでの期間は計算されず、最終段階、ラスボス4つの試験について、タイムリミットが7年となったのです。

私がどちらの制度に属しているのか謎なので、そこのところは確認が必要です。

でもまあ、最初の試験合格を起点に10年だったとしても、10年でとれなかったらあきらめるべきでしょう。

でも、自分がいつ始めたのかさえ覚えていないワタシは、あきらめるタイミングさえ見失っております。

落ち着いて考えなければ。

そんな重要事項され忘れてしまうような鳥頭なのですが、しょうこりもせず、来月(2021年9月)に試験を一つ受ける予定しております。

そして、現在「勉強したくない病」を絶賛発病中です。

ああ。どうしようかなあ。

選択肢は、

  1. 勉強しないでとりあえず受ける。
  2. 9月の試験を12月に延期する。
  3. ACCAをあきらめる。

この3つ。

そして、1と3はいつでもできるのですが、2.9月の試験を12月に延期する の締め切りは、8月2日。

ああ、悩ましい。あと2日間、悩みそうです。

悩む暇があれば、勉強しろって感じですが。

Wednesday 2 June 2021

ココナッツウォーターの思い出

ワタシが始めてミャンマーを訪れたのは、いまから14年前、2007年のことでした。

当時のミャンマーは、民主化前の軍事政権の真っ只中。

気軽に観光旅行にいける雰囲気ではなかったのですが、義父の病状が思わしくなく、「今行かなかったら後悔する!」とミャンマー行きを決行したのです。

そんな状態ですので、ミャンマー到着後は、夫は病院で義父につきっきり。

ワタシはその間、ホテルでお留守番をしていたのですが、そんなワタシをかわいそうと思ってくれた夫の叔父が、いろいろヤンゴンやその近郊に連れ出してくれました。

ある日、河の中に立つパゴダに連れて行ってもらったのですが、パゴダへ向かう渡し舟の乗り場の向かいに、ティーショップがありました。

その日も暑い日で、ちょっとバテていたワタシを見て、叔父さんが、ちょっと冷たいものを飲もうと、そのティーショップに入りました。

すると、10歳にも満たないくらい、多分7歳か8歳くらいの女の子が、フレッシュココナッツウォーターを熱心にセールスしてきます。

叔父さん、日本人であるワタシにとって、フレッシュココナッツウォーターは珍しいだろうと、あっさりとお買い上げ。

でもきっと、小さな女の子がセールスしてきたというのも、影響していると思われます。

さて、注文を受けたその女の子、おもむろにココナッツと鉈をもってきて、ワタシたちの目の前で見事な手さばきで鉈をバンバンふるってココナッツを割ってくれました。

小さな女の子の豪快な鉈さばきによって手際よく割られたココナッツ。

ココナッツウォーター自体は、そんなに美味しいものではありませんが、その光景が、ワタシの心の中に、鮮明に記憶されたのです。

その2007年ミャンマー訪問の直後に義父が亡くなり、当時のミャンマーの政治情勢も、けっして安定はしていませんでしたので、義父が亡くなった後しばらくの間、ワタシたちがミャンマーに戻ることはありませんでした。

その後、ワタシたちがミャンマーに里帰りを始めたのは、ミャンマーの民主化が始まった2012年のことでした。

2012年以降は、1年か2年に一度くらいの割合でミャンマーに里帰りしていたのですが、2007年に叔父さんに連れて行ってもらった、河の中に立つパゴダを再訪する機会はありませんでした。

あれは、2016年の年末の事。

ミャンマーでは、自分の誕生日に僧院に昼食を寄付するという習慣があります。

僧院で修行する僧侶や、出家はしていないけど、僧院にこもって瞑想修行をしている人達の為の昼食を寄付するのです。

ちなみに、「昼食」を寄付すると言っても、自分たちで料理するわけではありません。

寄付するのは、昼食代。その日の昼食の費用を持つわけです。
お金で解決するわけですな。

寄付した人がちょいと奮発したならば、その日の昼食がちょっと豪華になったりする。

ところで、僧侶の昼食は、早いです。

なぜなら、僧侶は正午から翌日の日の出まで断食しなければならないから。
午前11時前には食べ始めて、11時半には食べ終わっています。

なので、僧院への昼食の寄付は、半日仕事ではあるのですが、主に午前中のアクティビティであります。

無事、食事が終わり、寄付者が僧院の偉いお坊さんにお祈りしてもらうセレモニーも終わって「さあ、ヤンゴンへ帰ろう」という段になって、夫が「この先に、河の中に立つパゴダがあるんだ。ちょっと足をのばして行ってみる?」と提案してくれました。

その僧院は、ヤンゴンからみて、昔、叔父さんが連れていってくれた河の中に立つパゴダへの道中にあったのです。

「その僧院、ワタシ、昔行ったことあるよ~。叔父さんが連れていってくれたんだよ~。懐かしいから、また行きたい~。」

というワケで、ちょっと遠回りをして帰る事に。

その、河の中に立つパゴダも、パゴダへ向かう渡し舟も、船乗り場の向かいにあるティーショップも、ワタシの記憶のままでした。

そして、パゴダ参拝を終えて渡し船から降りたワタシは、やっぱり暑さにバテておりました。

そして夫は、やっぱり叔父さんの甥なんやなあ。

暑さにバテているワタシをみて、ちょっと冷たいものを飲もうと、渡し船の乗り場の前のティーショップに入りました。

そこでは、7歳か8歳くらいの小さな女の子が働いていて、フレッシュココナッツジュースをセールスしてきます。

夫は、せっかくだからと、あっさり一つ注文。

なんか、デジャブー。

やっぱり、叔父さんと甥や。

女の子は、素晴らしい鉈さばきでココナッツを割ってくれました。

女の子が割ってくれたココナッツジュースを飲みながら、ワタシは言いました。

「昔、2007年に来た時、叔父さんがワタシを色々な所に連れて行ってくれて、それでここにも来たことがあるんやけど、その時も、叔父さんがこのティーショップでフレッシュココナッツジュースを注文してくれたの。

その時も、あの女の子と同じくらいの年頃の女の子がいてねえ、その子がココナッツを割ってくれたの。

このお店には、いつも働き者の娘さんがいるんやねえ。」

それに対して、夫がとても言いにくそうに言いました。

「いや。あの女の子は、このお店の娘ではないと思うよ。奉公人だよ。多分、10年前にいたという女の子も奉公人だよ。」









それ以降、ワタシは、ミャンマーで働いている子どもの姿が気になって仕方がなくなったのです。

ワタシはそれまで、チャイルドレイバーという問題が存在することは知っていたけれど、それはどこか、テレビとかインターネットのニュースと通してしか知ることの無い、遠い所で起こっている出来事だったのです。

多分、ミャンマーを訪れる多くの日本人旅行者は、飲食店で働く子ども達を見て、「家の手伝いをしてる良い子たちだな」ぐらいにしか思っていないでしょう。

なぜなら、普通の日本人の感覚では、10歳にも満たないような子どもが、お金を稼ぐためにお店で働いているとは考えにくいことだから。

そんな年齢の子どもたちなんですよ。

田舎町の、その辺りでは一番の観光地の真ん前にあるティーショップ。

だから、ワタシが2007年に行ったお店と2016年に行ったお店は、ほぼ100%、同じお店だと思うのですが、その主人の一家に、常に10歳に満たないくらいの女の子がいて、お店を手伝っているというのは、あまり考えにくい。

でもお店にとっては、彼女たちはけっこう良い労働力なんだと思います。

まず第一に、とても安い労働力だろうし、外国や都会から来た環境客は小さい女の子にセールスされたら、財布のヒモも緩んでしまいます。

なので、小さな子供がいる親が食い詰めてしまって、子供を奉公に出さなくてはならなくなった場合に、小さな女の子を引き受けているのかもしれません。

そう思って見てみると、ミャンマーのお店には、奉公人と思われる小さな子供が沢山働いています。

というか、そのお店の息子・娘がお手伝いしていると思っていた子供は、すべて奉公人だろうとの事です。

奉公に出された子供たちは、ある程度の年齢になれば、工場などで雇ってもらえるかもしれません。

そうすれば、少し生活は安定するのでしょうか。

でも、小さい時から学校にも行く事もできずに働いて、教育を受けてないから、大人になっても、お給料が安い仕事にしか就けない。

悪循環です。

やるせない気持ちになってしまった、ココナッツウォーターの思い出なのです。


Monday 31 May 2021

乾季のミャンマーはほこりっぽい。

昨年から続くコロナ禍も収まらない内に、今年二月にはクーデター勃発という、踏んだり蹴ったりのミャンマー。

夫(ミャンマー人)はいつも言います。

「ミャンマーは、呪われている。」

地下資源も豊富だし、気候も農業に適しているし、普通にしてたら、かなり裕福な国になれるはずなのです。

戦前は、ビルマはアジアのライスボールと呼ばれ、ラングーン(今のヤンゴン)のインヤー湖湖畔に位置する「インヤーレイクホテル」や、川沿いのストランドロードに建つ「ストランドホテル」は、近隣アジア諸国のなかで、最も高級なホテルと言われていたそうです。

なのに、なのに。

どうして今は、アセアンで最下位を争う貧乏国になってしまったのか。

それは、1962年の国軍によるクーデター以降、クーデターとデモと弾圧が繰り返されてきた不安定な政情と、気まぐれで利己的で国民の事を顧みない軍政に対する、国民の不信感によるものではないかと思います。

一夜にして国政がひっくり返ってしまう。

もしくは、今まで使っていた紙幣が使えなくなってしまう。

そんな事がいつ起こってもおかしくないようなような状況では、国民の意識は刹那的になり、長期的にものを考える事をやめてしまいます。

とりあえず、今さえよければ良い。

「皆で力を合わせて国を発展させていこう」という方向に考えが向けるためには、将来への希望が必要なのです。

国民がやる気がないのに加えて、政府は私腹を肥やす事しか考えていないので、適正な公共投資が行われていない。

ところで、貧乏な国っていうのは、道路がデコボコです。

道路がデコボコなのは、国の貧しさを測る物差しではありますが、それと同時に、政府がどれだけ国民の為にお金を使っているかという物差しでもあると思うのです。

ミャンマーの道路はデコボコです。

走ってる車も古いのが多いので、サスペンション(っていうんですか?)も、ほぼ機能していないので、地面からの衝撃を、もろにお尻で受ける事になります。

普段は車酔いがひどいワタシも、あまりの揺れにビックリして、酔わないほどの衝撃です。

一応、舗装してある道もそんな感じで穴だらけでデコボコだし、舗装してない道もたくさんあるので、ミャンマーはホコリだらけです。

おまけに、我が家が里帰りするのは春節の頃が多く、その頃のミャンマーは乾季の冬である為、殆ど雨が降りません。(ミャンマーでは、12月から2月くらいが乾季の冬)

二週間くらいの滞在だったら、傘なんて持っていかなくても大丈夫なくらいに降りません。

そして、冬と言ってもヤンゴンの日中は30℃以上になりますので、全然屋外プールで泳げます。

ちなみに、乾季の夏(3月から5月くらい)だと日中は40℃くらいになりますので、真昼間から屋外プールでは泳いでいられません。午前中か、夕方まで待つか。

そして、とにかく雨が降りません。

なので、ホコリが舞い放題。

ワタシは、乾季のミャンマーに行くと、必ずと言ってよいほど、のどをやられてしまうのです。

一度は、完全に声が出なくなりました。

気管が弱い人は、気を付けた方がよいです。

そんな、ホコリっぽい乾季のミャンマー。

お店ではぬいぐるみなんかが売ってたりするのですね。

でも、店頭に置いておいたら、すぐにほこりだらけになっちゃうよ。

新品のぬいぐるみがホコリだらけなのは、悲しい。

というわけで、ミャンマーでは、ぬいぐるみはこのようにして売られています。




えらい、体の柔らかいクマさんやなあ。

大変そうやけど、売れるまでのガマン!

このクマさんの努力のおかげで、購入した人は、ふわふわピカピカのクマさんをゲットする事ができるのです。

頑張れ、ミャンマーのぬいぐるみさんたち!

Monday 26 April 2021

ミャンマーで両替の不思議

ミャンマーでクーデターが起こって以来、なんか暗い我が家です。

それでなくてもコロナ禍のせいで、長い間ミャンマーに里帰りできていないのに、今の状況では、コロナが収まっても、ミャンマーに里帰りできる見通しが立ちません。

そんな暗い気分の中、昔の里帰りの時に取った写真なんかを、つらつらを眺めてミャンマーを懐かしがっているのですが、旅行の写真って、ゆっくり見返してみると、色々と面白い写真が混ざっているものですね。

その時は、何か興味深いと思って撮ったんだと思いますが、あとで見ても、ぱっと見た感じ、なぜ撮ったのか分からない写真とか。

下の写真は、そんな中の一つです。



この写真、何かと申しますと、両替所のレート表なのです。

ミャンマーでは、日本円からミャンマーチャットへは両替できないため、一旦米ドルに両替して、現地でミャンマーチャットに再度両替する事になります。

イギリスポンドも、直接現地通貨に両替できないため(最近はできる所もあったようですが)、ミャンマー里帰りの際には、いつも前もって、米ドルに両替していました。

我が家のミャンマー里帰りは、大体、2週間くらいのお休みをとって、現地に10泊くらいします。

航空券はもちろんの事、ホテルもインターネットで予約してクレジットカードで精算しておきますので、現金が必要なのは、滞在中の移動にかかる交通費と食事代。

ミャンマー程度の物価の国で、現地の交通費と食事代なら、そんなに現金は必要ないと思われるでしょう。少なくとも、普通の観光客ならば、そんなに必要ないでしょう。

でも、我が家は一回の里帰りにつき、大体 2,000ポンド(30万円、2800米ドル)くらい両替するのです。

平均すると一泊あたり200ポンド(3万円、280米ドル)。

使いすぎ。

基本的には夫の実家があるヤンゴンに滞在しつつ、毎回、ヤンゴン外へ2~3泊程度のショートトリップに出るのですが、その費用が含まれているとしても、やっぱり使いすぎ。

だって、国内旅行の費用の内、ホテル代はインターネットで予約してクレジットカードで精算してるから。

なぜそんなにお金がかかるかというと、やっぱり、会食費というか、交際費かなあ。

夫の親戚や友人との会食には、お金を払うバトルが発生するのです。

勝者が全員分を払うという、恐ろしいバトルが…。

お金を払うバトルに連敗中の夫(ミャンマー人)

で、余った分は義母に渡してきますので、いつも帰りはすっからかんです。

まあそんな訳で、毎回 2,000ポンドほど米ドル現金に両替するのですが、いつも夫は、両替屋さんに、全部100ドル札で、新札をリクエストします。

夫が言うには、100ドル札でないと、両替のレートが悪くなるというのです。

そして、新札でないと断られたり、レートが悪くなったりすると。

普通ならば考えられない事ですが、まあ、ミャンマーやったらそういう事もあるのかもしれん。ブラックマーケットで両替するのかもしれんし。

と、ずっと思っていました。

そしたらまあ、ある日、上記の写真に撮った両替所のレート表を見かけたわけです。

思いっきり堂々と、お札の種類でレートが異なるレート表を。

BUYの方を見ていくと、USD(米ドル)は、

100ドル札(NOTE) 1523チャット/1ドル

50ドル札 1513チャット/1ドル

20ドル、10ドル、5ドル札 1473チャット/1ドル

2ドル、1ドル札 1463チャット/1ドル

なんか、通貨の両替というよりは、外貨のお札の売買という感じ?

お金を差別するな!

日本には、「一円に笑うものは一円に泣く」という言葉があるんやで!

と言いたくなりますが、ミャンマーの人にとっては、それこそ10チャット(日本円で1円弱)程度なら、笑うしかないのかもしれない。




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Sunday 25 April 2021

次にミャンマーに行けるのはいつになるかなあ。

 2021年2月1日、ミャンマーでクーデターが起こって以来、夫(ミャンマー人)は、とても落ち込んでしまっています。

募金活動とか、CRPH(Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw:アウンサンスーチー率いるNLD党員で、今回のクーデターで拘束されなかった人たちが組織したグループ)のウェブサイトの立ち上げのお手伝いとか、

色々と外からできる活動をやっているみたいですが、何をいくら頑張っても、焼け石に水状態で、状況は一向に好転する兆しもなく、気持ちは落ち込む一方のようです。

(CRPHのウェブサイト https://crphmyanmar.org/)

まあ、仕方ないよねえ。自分の国でクーデターが起こったんだから。

我が家は、できるだけ年に一回を目標にミャンマーに里帰りをしてまして、前回の里帰りは、コロナウィルスが中国ウーハンで問題になり始めた、2020年の春節。

英国にすんなり入国させてもらえるか、ドキドキしながら帰国したのですが、その時はあっさり入国できて拍子抜け。

その後、あれよあれよという間にコロナ禍がヨーロッパ中に広がり、ミャンマーにも日本にも里帰りできず、英国(というか自宅)に引きこもって、もう1年以上。

でも、コロナが収まっても、ミャンマーに里帰りするのは難しそうです。

コロナが収まったら、ワタシの日本の家族もミャンマーに招待して、皆で大集合したいねえ、なんて言ってたのですが、それもいつになる事やら。

次にミャンマーに里帰りできる見通しが立たないのも、気分が落ち込んでしまう理由の一つです。

英国では、今、段階的にロックダウンを解除しており、元の生活とはいかないまでも、色々な面で、生活の不便さが解消されてきていて、少し気分が上向きになったりもするのですが、でもやっぱり、なかなか気分が、スッキリと晴れる事はありません。

そんな中、昔のミャンマー里帰り時の写真をつらつらと眺めて、ミャンマーを懐かしがったりしています。



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Monday 22 March 2021

アイ ハブ ワクチン!

先日、コロナウィルスのワクチンを接種してきました。

英国では、既往症のある人とか60歳以上の接種中だと思っていたのですが、

ワタシが住む地域(ロンドンの田舎)では、早くも40歳代に順番が回ってきたようです。

ワタシ(48歳)と夫(44歳)、二人そろって同じ日に、かかりつけのお医者さんから連絡が入りました。

「ワクチン接種の順番が回ってきたから、下記のうちいずれかのワクチン接種センターに予約しください。」との事。

あいにく、我が家から一番近いワクチン接種センターは予約が一杯で予約できず。

地下鉄で二駅ほどのワクチン接種センターにて、朝一番の予約を取りました。

ところで、夫(ミャンマー人)は、ミャンマー人なのに約束の時間に正確なヒトです。

一般的に、ミャンマー人は時間にルーズな人が多いように見受けられますが、我が家の場合、日本人のワタシの方が時間にルーズ。

そんな、時間に緩めなワタシでさえ、ワクチン接種の予約には遅れたくない!

ましてや、時間に正確な夫(ミャンマー人)と一緒ですので、早め早めの行動です。

というワケで、予約時間の30分前くらいにワクチン接種センターに到着しました。

驚いたことに、30分も前についたのに、すでに7~8人並んでいる!

イギリス人にも、時間に正確なヒトがいるのね。

なんて思いながら列に加わって並んでいると、しばらくしたら接種センターのボランティアの人が出てきて、並んでいる人を整理したり、予約があるか否かを確認しはじめました。

ボランティアの人のいう事にゃ、
この接種センターで接種するのはアストラゼネカ製のワクチンで、今日は200人分が配達される予定。

今、予約がない人は、キャンセル待ちのリストに加える事ができます。

予約したのに来ない人が毎日数人でてくるので、午後になってワクチンが余ったら、キャンセル待ちをしている人に連絡します。
ショートノーティスになるけれでも、それでも良かったら、キャンセル待ちのリストに名前を加えてください。

 いやあ、すごいですねえ。できるだけ多くの人に接種できるよう、配達されたワクチンを無駄にしない為のシステムです。

実はイギリス人って、効率よく物事を行う事ができる人達だったんですねえ。普段やってないだけで。

能ある鷹は、爪を隠しているのね。

なんて、感心していたら、ワタシ達の前に並んでいた7~8人のうちの殆どが、すでにキャンセル待ちをしていて、今日は順番が回ってきそうかどうかの確認とか、キャンセル待ちのリストに名前を加えてもらおうと並んでいた人だったらしく、ボランティアの人と話をした後、列から去っていきました。

ワタシ達の前に残ったのは二人だけ。

ワタシ達の後ろには、どんどん長い列が伸びていきます。

っていうか、二メートル間隔で並んでるから、列がすぐに長くなるのです。

でも、まだ入場できません。

そろそろ、朝一の予約の時間になったな~という頃になって、ボランティアの方が出てきて言いました。

残念な事に、ワクチンの到着が遅れていますので、まだ接種を始める事ができません。

どれくらい遅れるかは分かりません。30分かもしれないし1時間かもしれない。

以前にもこんな事がありました。寒い日で、雨が降る中数時間待ったのです。

でも今日は、お天気も良いし暖かいから、あなた達はラッキーです。

ここで夫がボソリ:1年待ったんだから、あと数時間くらいどうって事ないよ。

なんて言いながら、待つことさらに10分くらいでしょうか、車が一台、接種センターの門の前に停車しました。

運転席の女性が、車窓を開けて何やらもの言いたげです。

ボランティアの一人と目があったのでしょう、彼女が大声でいいました。

アイ ハブ ワクチン!

えええ。とばかりにワラワラと走り寄るボランティアの人たち。

車を門の中に停め、積み荷を皆で協力しておろしていきます。

その中に、クーラーボックスらしきものが!

あれがワクチンに違いない!!!

あれがきっとワクチンだよ!とワタシが興奮して見ていると、

夫がまたボソリ:アイ ハブ ワクチン!なんて、今のご時世、うかつに叫んだら危険やなあ。強盗に会うよ。

えええ。でも確かに、注射器とかほかの資材も一緒に運んでたら、危ないかもね。

ワタシ的には、アイ ハブ ワクチン!っていう言葉は、アイ ハブ ア ペン!並みに、実際に使う機会がほぼない言葉やと思うんやけど。

という感じで、ワクチンが無事到着し、ワタシも夫も、無事一回目のワクチン接種が完了しました。

気になる副作用ですが、大きなアレルギー反応はありませんでした。

夫は、軽い頭痛を注射した方の腕の痛み。

ワタシは、悪寒と熱。接種当日の夜は37.5℃くらいあったけど、翌日には37℃くらいに下がりました。。

両方とも、よくある副作用(10人に一人もしくはそれ以上)ですし、ワタシにとっては、発熱はワクチン接種あるあるなので、想定内です。

打つまでは気が重かったけど、終わってホッとしました。

まだ、二回目の接種があるんだけどねえ。


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Monday 1 February 2021

ミャンマーでクーデター

今日(2月1日)の朝、いつものようにワタシを起こしに来た夫(ミャンマー人)が、開口一番に言いました。


「悲しい知らせがある。ミャンマーでクーデターが起こった。」

「えええ。」


2020年11月に行われた選挙に不正があったとして、軍がアウンサンスーチーや大統領などを拘束し、「群が国家の権力を掌握した」と宣言したそうです。

選挙に不正。他にも、そんな事言ってる人がいたなあ。

ミャンマーに電話はできるのかと聞いてみたらば、電話は普通になってるけど、インターネットは、つながる事もあるらしい。

前回のクーデターが起こった1988年とは異なり、今のミャンマーでは、外資系プロバーダー数社による携帯電話とインターネット回線が普及しています。それらを直ちに完全に止める事はできないのでしょう。

幸い、夫の母親(義母)からインターネット電話がかかってきて、少し話す事ができました。

少しでも話す事ができたら、安心します。

彼女が言うには、今のヤンゴンは混乱しているそうです。

普段は汚い言葉を使わない彼女が、「サノバビッチ(のミャンマー語版)」と言っていたそうです。

そうやろうなあ。

普段汚い言葉を使わない人でも、悪態の一つもつきたくなるやろう。

義母は今年81歳。

去年、80歳の誕生日をお祝いにミャンマーに行きたかったのですが、コロナのせいで行けませんでした。

コロナが収まったら、会いに行ってお祝いしたいと思ってたのですが、どんどん先行きが不透明になっていく。

不透明というか、もう、どどめ色。

今年81歳の義母は、生まれた時は第二次世界大戦、その後、英国占領下のミャンマー、ミャンマー式社会主義、軍事政権、そして一応民主化したと言われていたミャンマーと、色々なミャンマーの顔を見てきました。

クーデターや暴動を目の当たりにしたのも、今回が初めてではありません。

だから夫は、彼女は大丈夫だと言ってます。

とは言っても、やっぱり心配。

これからどうなるのか、毎日ニュースにかじりつきな生活になりそうです。

Tuesday 26 January 2021

夫の再就職に伴い、朝活を始めます。努力目標です。

 英経済、過去300年最悪の落ち込みの中での就職活動をしていた夫。

https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2021/01/300.html

その中の一社から、ほぼ内々定をいただいた段階で、過去300年最悪の経済にも関わらず、空気を読まずに給与交渉をした夫。

英国の転職活動には給与交渉はつきものなので、ほぼ、条件反射でやったと思われます。

さすがに少しは空気を読んで、控えめな希望額だったのですが。

控えめとは言え、コロナ禍で失業者激増の英国で、給与交渉はやばかったのではないかと、先方からの返事が来るまでの間、悶々として待っておりました。

その結果、めでたく希望が通り、就職活動を終える事ができました。

うれしい~。

何がうれしいって、就職活動が終わったのがうれしい。

今まで、何度もリストラ退職からの就職活動を経験している夫ですが、何回やっても就職活動はストレスです。

とりあえず、そのストレスからは解放される!

今後は、新しい職場になれるストレスとの戦いです。

頑張れ、夫!

新しい職場は、何がつらいって、始業時刻が朝7:30なのです。

就業時間は、朝7:30から夕方5:00。

これだと、就業時間が長いので、実際は4:30くらいに終わりそうな感じです。

それでも、一日8時間30分労働。

前に働いていた職場は、一日7時間30分労働だったので、前の職場よりちょっと長いのね。

おまけに、新しい職場は完全年俸制で、時間外労働の手当がつきません。

なので、空気を読まずに給与交渉したのです。

さて、これから夫は、朝7:30からお仕事。

朝のウォーキングに行こうと思ったら、朝6:00くらいから行かないといけないなあ。。

今はまだ朝6:00は真っ暗だからムリだけど、もう少し暖かくなったら頑張ろう。

夫の就業時間に合わせて、ワタシも朝活を始めようと思います。

何よりも朝寝が好きなワタシですが、努力目標です。


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Sunday 17 January 2021

20年。長かったような、短かったような。

 ふと気がついたら、今年は、ロンドンに来て20年目の年です。

長かったような、短かったような。

ロンドンで語学留学して、夫(ミャンマー人)と結婚して、就職して、フラット買って、住宅ローン完済して、セミリタイアした20年でした。

でも、イギリスの年金受給開始まで、まだあと19年もあります。

19年もあれば、今までの20年と同じくらい色々な事を、やろうと思えばできるんだなあ。

やろうと思えば。

さあ、年金受給前の最後の19年に、もう一花咲かせましょうか。

それとも、のんびり過ごしましょうか。



Tuesday 12 January 2021

英経済、過去300年最悪の落ち込みの中での就職活動。

ハッピーニューイヤー!

地球上の殆どに人にとって、散々な一年であったであろう2020年が終わりました。

多分、占いで2020年の運勢が悪い人が地球上に急増したので、こんな事になったんやと思う。

新年、2021年はどんな年になるかなあ。良い年になってほしいなあ。

さて、英国の財務大臣、リシ・スナックがいう事にゃ、2020年の英経済は、過去300年最悪の落ち込みだそうです。

過去300年って。記録あるんかいな。

日本やったら江戸時代。

天保の大飢饉が1835年から1837年という話なので、185年前。

それよりもさらに100年以上前の経済と、今の経済を比べてみる意味合いって。

などとツッコミながらも、2020年の英経済の落ち込みの深刻さは伝わりましてので、それで良しとしましょう。

そんな、夫が勤める会社もコロナ倒産。(夫のリストラ話 で色々愚痴っています) 

300年に一度の経済の落ち込みの中での就職活動を余儀なくされてしまったのです。

倒産を発表したのが2020年6月末。

まもなく破産管財人が任命され、会社の清算処理が始まりました。

夫は、ITエンジニアという仕事柄、会社の清算処理がほぼ終了するまでは雇用が継続されたのですが、それもついに終了してしまったのが10月末の事。

世間はコロナ倒産・コロナ失業で求職者があふれてるし、クリスマスも近づいているし。

とりあえず、2020年中は積極的に就職活動はせず、ちょっと休憩したいね。

なんて言いながら、やっぱり気になるので、ゆるゆるとは活動していました。

今のところ、履歴書を送ったのは12社。

そのうち、面接までたどり着いたのが3社。(すべてリモート面接。)

面接した3社のうち、1社は一次面接で敗退。

残る2社は、けっこう良い所まで行きました。(うち1つは現在進行中)

でも、この2社の動向をみると、今の就職戦線の特殊さが感じられます。


会社A(純粋に英国の会社)-4次面接で敗退。先方のいう事にゃ、4次面接を突破したとしても、さらに最終面接があったらしい。つまり、合計5回の面接!


会社B(外資系(米国本社)の英国子会社)- こちらは、現在進行中。

一次面接:人事の採用担当者と電話面接

2次面接:ヨーロッパ在住のマネージャー(採用された場合、おそらくこの人が上司になる)と、電話面接

3次面接:なんとここで、5人の面接官と、別々にビデオ面接。30分~1時間弱程度のビデオ面接を5回、3日ほどかけて延々と面接。気分的には、3次面接から7次面接。

4次審査:ここで、大学の成績書と、3名の reference (推薦者)の連絡先を提出。

どうやら、2次面接をした人が、3人の推薦者にコンタクトして、各人と30分くらい話したらしい。3人の推薦者と各30分って、どんだけお話し好きやねん。

ここで、めでたく内々定をいただき、この段階で、初めてお給料その他の条件を提示される。それまで、いくらくらいのお給料の仕事なのか、何も分からないまま、こんなにたくさん面接していたという。

最後の関門:給与交渉。

いただいた条件は、けっして悪くはないのですが、「最高!ヒャッホーイ!」というほどでもない。とはいえ今は、アグレッシブに給与交渉をするような世界状況ではないので、控えめに、少しだけ給与アップ希望を伝える。

ー>現在、回答待ち。

という感じです。

これだけ大量に面接したのに、ここでダメだったら、悔しいなあ。

給与交渉しなかったら良かったのかもしれないけど、交渉の余地があると思ったので、交渉してみたのです。これが裏目にでるか、どうなるか。

ドキドキです。

これがダメだったら、また一から就職活動を再開ですね。

しかし、この二件に共通するのは、丁寧に、いつもより余分に時間をかけて選考しているという印象。

おそらく、会社側もコロナで仕事が減ってるというか、ぶっちゃけ、ヒマなんやと思う。

そして、お金はない。

お金はないんだけど、今の状況だと、上手くいけば、好景気の時よりも、よい人材が安く採用できる。

なので、気になる履歴書の人は、とりあえず面接してみたい。

いざ、採用を検討するとなったら、採用前にたくさん面接していろんな人の目でみてもらい、しっかり選びたい。

おそらく、こんな感じなのではないでしょうか。

そして、応募者側としては、

  • 今の状況では、少々条件が悪くても、仕事があるだけまし。
  • 少々お給料に不満があっても、とりあえず、このコロナが終息するまで我慢すればよい。
  • 経済が元に戻ってきたら、また転職すればよい。

という感じで、少々お給料が低めでも、受け入れてしまうのかもしれません。

そんな中、あえて給与交渉に挑んだ夫(ミャンマー人)。チャレンジャーです。

ああ、やっぱり、給与交渉しない方が良かったのかも。

くよくよ。


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