これは、全く科学的根拠も医学的根拠も何も無い、
ワタシの純粋な想像による個人的な考えです。
でも、この頃ワタシ、思うんです。
アルツハイマーって、神様がくれた最後のプレゼントなのかもしれない。
死の恐怖から解き放ってくれる、神様の思いやり。
なので、アルツハイマーになる人って、もしかしたら、
死ぬことをめちゃくちゃに恐れていた人なのではないかと。
まあ、この仮説は立証のしようがありません。
だって、アルツハイマーになっちゃった人に、
「あなたは死ぬのが怖かった?」って聞けないでしょう?
まあ、聞けない事はないだろうけど、なんとなく聞きにくいでしょう。
ただ、ワタシは思うのです。
アルツハイマーって、もちろん本人も辛いと思うけど、
家族にとって、ものすごくつらいものです。
だって、自分の大切な人を、少しずつ失っていくわけですから。
大切なモノを少しずつ失うって言うのは、とても残酷なことです。
少しずつ失って、本当にもう残りがほんのわずかになった後に、
その人を現実に、物理的に失う。
なので逆に、実際になくなった時のダメージは少ないかも知れません。
そして、本人にとっては、、、
ワタシが想像するに、アルツハイマーとは、
本人にとっても「少しずつ死んでいく」
という感じなのではないでしょうか?
毎日少しずつ、自分が自分である時間が減っていって、
そのうち、まったく自分でなくなってしまう。
そうやって、少しずつ自分を失う事で、
死への恐怖から逃れることができるのでは?
アルツハイマーになる事は、赤ん坊に戻るようなものだと、
たとえられることがあります。
死ぬ間際、何も知らない、何も分からない赤ん坊に戻ることで、
死の恐怖から逃れるのです。
なので、死に対する恐怖が大きい人ほど、
アルツハイマーになる可能性が高いような気がするのです。
なんとなく。
夫(ミャンマー人)は、ミャンマーの修行僧で
アルツハイマーになった人の話を聞いたことがないと言います。
なので、彼らの食生活や午後に断食をする生活習慣が、
アルツハイマー予防になるのでは、と推測しています。
でもワタシとしては、彼らが日常的に瞑想している事に関係があると思うのです。
瞑想することによって、精神が死の恐怖から解き放たれているのでは。
だから、死を前に、赤ん坊に戻る必要がないから、
アルツハイマーにはならない。
死の恐怖から自由になるのは、並大抵の努力でできることではありません。
でも、死はいつかやってくくるものです。
瞑想することによって、少しでも心の準備ができるなら、
ワタシも瞑想を始めてみようかなあ、と思うのです。
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