Sunday, 6 January 2019

外国に移住するという事

外国に移住するという事。

この話題については色々な視点から色々な議論が交わされています。

特に、日本人が海外に出て暮らす場合、

海外では、こんなにのびのびとリラックスして暮らす事ができる。

日本社会はこんなところが窮屈でイヤ。

海外はこんなところがステキ。

なんて感じで日本をこき下ろして海外の良さを主張する人がいて、
それを「海外かぶれ」だなんだと避難する人がいて、
もう何がなんだか、て感じになってしまうのですが。。。

実は私も、「日本社会のこんなところが窮屈ネタ」は、
心の中に、思うところをいくつか隠し持っているので、
「英国社会(というかサラリーマン生活)のこんなところが嫌いネタ」
とあわせて、また機会があれば、いつか書こうと思います。



閑話休題。

この前ふと、「外国に移住するという事」を、
「日本人」が「海外」に出てく暮らすという事でなく、
「人が」が「祖国を離れて暮らす」というという観点で考えてみました。

ミャンマーにて、夫の友人達を観察していて、ふと感じたのです。

ミャンマーに住むミャンマー人も、いろいろと競争とかあって大変そう。

日本人旅行者がミャンマーに行くと、ミャンマーってゆったりしていて
人がやさしくてリラックスできる国だという感想を持つと思います。

ミャンマーに住む外国人も同様だと思います。

働かないミャンマー人にイライラしながらも、
「まあ、こんな国だから。」
「あわてない、あわてない。」
「一休み、一休み」
って感じで、ゆったり生活してると思います。

でも、ミャンマーに住む、ミャンマー人(エリート)は違います。

高学歴高収入のエリートとして、ミャンマーの社会を生きている彼らは、
常に他人より優秀でなければならないので、私なんかより
よっぽどピリピリして生活している感じがするのです。

日本社会で疲れている日本人と、大差ありません。

一方、私は英国で、かなりリラックスして生きていると思います。

なぜなら、英国は私にとっては外国だから。

「外国で生活していて、人並みの生活ができたら、まあ成功。」

という風に、外国で生活しているというだけで、
「成功」対するハードルが一気に下がってしまうのですよ。

外国人男性相手に、見る目が甘くなる日本人女性みたいなもんです。

もし私が、日本で生活していたならば、今の私の状態(人並みの生活)では
満足していなかったかもしれません。

「もっともっと、高いところを目指さなければ」と頑張って、
疲れ果てていたかもしれません。

なぜなら、「外国で生活しているか」という言い訳が使えませんからね。

そういう意味で、私は外国に移住して楽になったと思うのです。


つまり私が思うに、海外で暮らす日本人が
「海外ではのびのび生活できる」という感想をもつ時、
それはもちろん「海外かぶれ」的な要素、つまり
日本社会の窮屈さや、海外の社会のゆるさに起因するところが大きいですが、
でも、それ以外もファクターもあると思うのです。

つまり、本人の心の持ち方に変化が起きている。
それも、本人も気づかないうちに。

たとえば、今まで公立の普通の小学校で優等生だった児童が、
中学受験をして難関私立中学に見事合格したとします。

小学校までは、いつでもテストでクラス1番を目指さなければならなかったのが、
難関中学校に入ったら、クラスの真ん中ぐらいでもOKな気持ちになる。

そんな感じの変化でしょうかね。

難しい環境に自分をおいたのだから、
周りについて行くだけで十分。
トップを目指さなくて良い。
つまり、いつも全力で頑張らなくて良い。

これが、「海外では、のびのびとリラックスして暮らす事ができる。」
のヒミツだとおもうのです。

私個人的には。

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